2011年09月17日
新しいカウンセリングの実際のプロセス 113
お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。
今日も「新しいカウンセリングの実際のプロセス」について、述べてみたいと思います。
新しいカウンセリングの実践方法です。
新しいカウンセリングは、親に会うことがスタートです。
ただしその後は、3パターンに分かれます。
それは子供のみのカウンセリング、子供と親が別々のカウンセリング、子供と親合同のカウンセリングです。
今日からは、合同カウンセリングについて述べます。
子供のみのカウンセリング、子供と親が別々のカウンセリング、子供と親合同のカウンセリングのどのスタイルであっても、カウンセラーは親とコンタクトをとります。
合同カウンセリングは子供に軸足を置きながら、親とのコンタクトをより強調したものです。
子供と親とカウンセラーの、三者による共同作業です。
現実に高校生ぐらいまでの年齢までは、カウンセリングに親とともに来室します。
すでにそこに、子供と親とカウンセラーの三者による共同作業は行われています。
ただし高校生ぐらいの年齢では、三者によるカウンセリングは嫌がります。
よって子供と親とカウンセラーの三者によるカウンセリングは、現実には中学生ぐらいまでに適応されます。
さらに中学生ぐらいまでは、大人であるカウンセラーと一対一で会うことを怖がります。
特に対人関係にこだわる人は、怖がります。
そのこだわりさえも、いかすようにカウンセリングをスタートします。
それは「あなたが人と仲良くしたいからこだわり、怖がるのですね」という言葉を、用います。
このようにいっけんマイナスの要素も、プラスに変えていくことも可能です。
そのためには、小さな気づかいが大切です。
さらにはいくつかの質問により、リラックスするようにリードします。
その場合も、急がないことが大切です。
その質問は、気楽な質問です。
気楽にたずね、気楽に答えるものです。
その気楽な質問、気楽にたずね、気楽に答えるなかに大きな意味があるのです。
ある中学生は、「夏休みの読書感想文にどんな本を読みましたか?」という質問に、「書評は・・・・・」と答えました。この書評と言う言葉から、解決に向かっていくのです。
多くの場合、この書評と言う言葉は「きどっている」というような否定的なものとして受け取られがちです。この中学生は気の弱い子と言われていましたが、ここにはそれが見受けられません。
それを手がかりに、解決に向かっていくのです。
それは「書評という言葉を知っていることは、すごい!」というような、相手に対する肯定的な評価です。それは「きどっている」というような否定的なものの、逆です。
このような自己肯定は、自己否定をくつがえすものです。
そこには、もう自己否定はありません。
カウンセリングは多くの場合、自己否定の中に自己肯定を見いだすのです。
よって自己否定こそが、大切にされなければいけません。
このように現実を異なる方向から、見るのです。
そしてそれを本人と、家族に示すのです。
なおこの中学生は、気の弱い子でした。
しかし逆に、活発な子もいます。
その活発さも、「困ったものだ」と受けとらえられていることもあります。
単なるいたずら好きの、困った子と考えられているのです。
カウンセリングにら来室する子供は、親の一面的な見かたに苦しんでいるのです。
正確には一方的な、親の一面的な見かたに苦しんでいるのです。
その一方的な、親の一面的な見かたをとらえ直すのです。
カウンセリングを通して、とらえ直すのです。
親は多くの場合、学校の先生やカウンセラーの前で子供に大人のような態度で、行儀よくいてほしいものです。それが大人ぶったものでないか、カウンセラーは見通す必要もあります。
大人ぶったものであれば、周囲の期待を受け入れすぎと言えます。
このようにカウンセリングを通して、とらえ直すのです。
子供は、親の一面的な見かたから解放されることが大切です。
カウンセリングにおいて親の一面的な見かたは、解決像にも現れます。
特に思春期以降の、子供においては顕著です。
具体的には思春期以降の異性関係や、友人関係でこの対立はおきがちです。
具体的には、「~さんとはつき合ってはいけない」というものです。
極端な場合、親は「~さんとわかれさせる」ためにカウンセリングを利用します。
このように親は、自分の考えに子供を従わせがちです。
そしてそれを、カウンセリングの目的にしてしまうのです。
親は、子供を管理しやすくしてくれと言いがちなのです。
これでは、まったく意味を持ちません。
逆に子供は、親をだまらせてくれと言いがちです。
これも、まったく意味を持ちません。
カウンセリングの目標は、生産的なものでなければいけません。
そうでなければ、まったく意味を持ちません。
次に、モデルによりさらに述べます。
高校1年生の男子です。高校に入学後、上級生の人たちを中心とするグループと付き合うようになりました。
両親は、そのグループと付き合うことに反対です。
そのことで、家族で言い争いが続きました。
結局、言い争いの激しさゆえに収集がつきません。
そこで、カウンセリングを行いました。
現実の問題として深夜、家を出てそのグループと会っていることが問題視されました。
母親は、それをとても気にしていたのです。
実際のカウンセリングも、そこから始まりました。
それは母親の、「あの人たちと、会ってほしくない」という言葉です。
この「あの人たちと、会ってほしくない」という言葉が、すべてです。
これに対して、高校生は反論するのです。
「あの人たちと、会いたい」「そうしたいの!」
「お母さんが思っているほど、悪い人ではない」
こう、反論しました。
このように自分の考えを否定され、行き場のない状態だったのです。
そこにカウンセラーは、新しい道を指し示すのです。
そのためにカウンセラーは、次のような質問をしました。
「今日のカウンセリングから、どのような意味のあることを得たいのですか?」
すなわちカウンセリングにくる、実際的な意味です。
新しいカウンセリングでは、実際的な意味からプロセスを始めることも多いのです。
母親から、語りはじめました。
「あの人たちに会って、煙草を吸うことはやめてほしいの・・・」
「無断、外出もやめてほしいの」
さらに、こう続けました。
このような母親の発言から、カウンセリングの実際のプロセスは決定されます。
そのために、カウンセラーはこう述べました。
「煙草を吸うことと無断の外出、どちらにまとをしぼって話したいですか」
こう続けたのです。
母親は、煙草の話をのぞみました。
本人は、外出です。
次回に、さらに述べます。
今日も「新しいカウンセリングの実際のプロセス」について、述べてみたいと思います。
新しいカウンセリングの実践方法です。
新しいカウンセリングは、親に会うことがスタートです。
ただしその後は、3パターンに分かれます。
それは子供のみのカウンセリング、子供と親が別々のカウンセリング、子供と親合同のカウンセリングです。
今日からは、合同カウンセリングについて述べます。
子供のみのカウンセリング、子供と親が別々のカウンセリング、子供と親合同のカウンセリングのどのスタイルであっても、カウンセラーは親とコンタクトをとります。
合同カウンセリングは子供に軸足を置きながら、親とのコンタクトをより強調したものです。
子供と親とカウンセラーの、三者による共同作業です。
現実に高校生ぐらいまでの年齢までは、カウンセリングに親とともに来室します。
すでにそこに、子供と親とカウンセラーの三者による共同作業は行われています。
ただし高校生ぐらいの年齢では、三者によるカウンセリングは嫌がります。
よって子供と親とカウンセラーの三者によるカウンセリングは、現実には中学生ぐらいまでに適応されます。
さらに中学生ぐらいまでは、大人であるカウンセラーと一対一で会うことを怖がります。
特に対人関係にこだわる人は、怖がります。
そのこだわりさえも、いかすようにカウンセリングをスタートします。
それは「あなたが人と仲良くしたいからこだわり、怖がるのですね」という言葉を、用います。
このようにいっけんマイナスの要素も、プラスに変えていくことも可能です。
そのためには、小さな気づかいが大切です。
さらにはいくつかの質問により、リラックスするようにリードします。
その場合も、急がないことが大切です。
その質問は、気楽な質問です。
気楽にたずね、気楽に答えるものです。
その気楽な質問、気楽にたずね、気楽に答えるなかに大きな意味があるのです。
ある中学生は、「夏休みの読書感想文にどんな本を読みましたか?」という質問に、「書評は・・・・・」と答えました。この書評と言う言葉から、解決に向かっていくのです。
多くの場合、この書評と言う言葉は「きどっている」というような否定的なものとして受け取られがちです。この中学生は気の弱い子と言われていましたが、ここにはそれが見受けられません。
それを手がかりに、解決に向かっていくのです。
それは「書評という言葉を知っていることは、すごい!」というような、相手に対する肯定的な評価です。それは「きどっている」というような否定的なものの、逆です。
このような自己肯定は、自己否定をくつがえすものです。
そこには、もう自己否定はありません。
カウンセリングは多くの場合、自己否定の中に自己肯定を見いだすのです。
よって自己否定こそが、大切にされなければいけません。
このように現実を異なる方向から、見るのです。
そしてそれを本人と、家族に示すのです。
なおこの中学生は、気の弱い子でした。
しかし逆に、活発な子もいます。
その活発さも、「困ったものだ」と受けとらえられていることもあります。
単なるいたずら好きの、困った子と考えられているのです。
カウンセリングにら来室する子供は、親の一面的な見かたに苦しんでいるのです。
正確には一方的な、親の一面的な見かたに苦しんでいるのです。
その一方的な、親の一面的な見かたをとらえ直すのです。
カウンセリングを通して、とらえ直すのです。
親は多くの場合、学校の先生やカウンセラーの前で子供に大人のような態度で、行儀よくいてほしいものです。それが大人ぶったものでないか、カウンセラーは見通す必要もあります。
大人ぶったものであれば、周囲の期待を受け入れすぎと言えます。
このようにカウンセリングを通して、とらえ直すのです。
子供は、親の一面的な見かたから解放されることが大切です。
カウンセリングにおいて親の一面的な見かたは、解決像にも現れます。
特に思春期以降の、子供においては顕著です。
具体的には思春期以降の異性関係や、友人関係でこの対立はおきがちです。
具体的には、「~さんとはつき合ってはいけない」というものです。
極端な場合、親は「~さんとわかれさせる」ためにカウンセリングを利用します。
このように親は、自分の考えに子供を従わせがちです。
そしてそれを、カウンセリングの目的にしてしまうのです。
親は、子供を管理しやすくしてくれと言いがちなのです。
これでは、まったく意味を持ちません。
逆に子供は、親をだまらせてくれと言いがちです。
これも、まったく意味を持ちません。
カウンセリングの目標は、生産的なものでなければいけません。
そうでなければ、まったく意味を持ちません。
次に、モデルによりさらに述べます。
高校1年生の男子です。高校に入学後、上級生の人たちを中心とするグループと付き合うようになりました。
両親は、そのグループと付き合うことに反対です。
そのことで、家族で言い争いが続きました。
結局、言い争いの激しさゆえに収集がつきません。
そこで、カウンセリングを行いました。
現実の問題として深夜、家を出てそのグループと会っていることが問題視されました。
母親は、それをとても気にしていたのです。
実際のカウンセリングも、そこから始まりました。
それは母親の、「あの人たちと、会ってほしくない」という言葉です。
この「あの人たちと、会ってほしくない」という言葉が、すべてです。
これに対して、高校生は反論するのです。
「あの人たちと、会いたい」「そうしたいの!」
「お母さんが思っているほど、悪い人ではない」
こう、反論しました。
このように自分の考えを否定され、行き場のない状態だったのです。
そこにカウンセラーは、新しい道を指し示すのです。
そのためにカウンセラーは、次のような質問をしました。
「今日のカウンセリングから、どのような意味のあることを得たいのですか?」
すなわちカウンセリングにくる、実際的な意味です。
新しいカウンセリングでは、実際的な意味からプロセスを始めることも多いのです。
母親から、語りはじめました。
「あの人たちに会って、煙草を吸うことはやめてほしいの・・・」
「無断、外出もやめてほしいの」
さらに、こう続けました。
このような母親の発言から、カウンセリングの実際のプロセスは決定されます。
そのために、カウンセラーはこう述べました。
「煙草を吸うことと無断の外出、どちらにまとをしぼって話したいですか」
こう続けたのです。
母親は、煙草の話をのぞみました。
本人は、外出です。
次回に、さらに述べます。