さぽろぐ

健康・ダイエット  |札幌市中央区

ログインヘルプ


スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2014年09月01日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 248

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 06:36Comments(0)カウンセリング

2014年09月02日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 249

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 09:31Comments(0)カウンセリング

2014年09月03日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 250

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 09:24Comments(0)カウンセリング

2014年09月04日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 251

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 07:43Comments(0)カウンセリング

2014年09月05日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 252

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
しかしそれはコミュニィケーションを通して、共有されるのです。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 09:39Comments(0)カウンセリング

2014年09月06日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 253

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 07:48Comments(0)カウンセリング

2014年09月07日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 254

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 08:16Comments(0)カウンセリング

2014年09月08日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 255

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 07:35Comments(0)カウンセリング

2014年09月09日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 256 

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 07:45Comments(0)カウンセリング

2014年09月10日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 257

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 09:02Comments(0)カウンセリング

2014年09月11日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 258

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

その捉え直しが一歩になって成長、発達していきます。
その積み重ねが、大きなプロセスになっていきます。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 08:49Comments(0)カウンセリング

2014年09月12日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 259

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

その捉え直しが一歩になって成長、発達していきます。
その積み重ねが、大きなプロセスになっていきます。

この子は、自分を統制することができるようになっていきました。
以前は、非生産的な行為がめだちました。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 09:01Comments(0)カウンセリング

2014年09月13日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 260

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

その捉え直しが一歩になって成長、発達していきます。
その積み重ねが、大きなプロセスになっていきます。

この子は、自分を統制することができるようになっていきました。
以前は、非生産的な行為がめだちました。

たとえば指をかむということです。
あまりにも指をかむので、指にイボができています。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 08:57Comments(0)カウンセリング

2014年09月14日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 261

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

その捉え直しが一歩になって成長、発達していきます。
その積み重ねが、大きなプロセスになっていきます。

この子は、自分を統制することができるようになっていきました。
以前は、非生産的な行為がめだちました。

たとえば指をかむということです。
あまりにも指をかむので、指にイボができています。

カウンセリングの中で、指かみも減っていきました。
それにそって、イボも小さくなっていったのです。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 07:40Comments(0)カウンセリング

2014年09月15日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 262

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

その捉え直しが一歩になって成長、発達していきます。
その積み重ねが、大きなプロセスになっていきます。

この子は、自分を統制することができるようになっていきました。
以前は、非生産的な行為がめだちました。

たとえば指をかむということです。
あまりにも指をかむので、指にイボができています。

カウンセリングの中で、指かみも減っていきました。
それにそって、イボも小さくなっていったのです。

イボが小さくなることは、自分で分かります。
当然、イボは小さい方がいいのです。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 09:31Comments(0)カウンセリング

2014年09月16日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 263

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

その捉え直しが一歩になって成長、発達していきます。
その積み重ねが、大きなプロセスになっていきます。

この子は、自分を統制することができるようになっていきました。
以前は、非生産的な行為がめだちました。

たとえば指をかむということです。
あまりにも指をかむので、指にイボができています。

カウンセリングの中で、指かみも減っていきました。
それにそって、イボも小さくなっていったのです。

イボが小さくなることは、自分で分かります。
当然、イボは小さい方がいいのです。

そこから、プラスのルートが開かれます。
指かみが減り、イボも小さくなるというルートです。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 09:05Comments(0)カウンセリング

2014年09月17日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 264

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

その捉え直しが一歩になって成長、発達していきます。
その積み重ねが、大きなプロセスになっていきます。

この子は、自分を統制することができるようになっていきました。
以前は、非生産的な行為がめだちました。

たとえば指をかむということです。
あまりにも指をかむので、指にイボができています。

カウンセリングの中で、指かみも減っていきました。
それにそって、イボも小さくなっていったのです。

イボが小さくなることは、自分で分かります。
当然、イボは小さい方がいいのです。

そこから、プラスのルートが開かれます。
指かみが減り、イボも小さくなるというルートです。

イボも小さくなれば、指かみも減ります。
そんな好循環が、生まれました。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 08:51Comments(0)カウンセリング

2014年09月18日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 265

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

その捉え直しが一歩になって成長、発達していきます。
その積み重ねが、大きなプロセスになっていきます。

この子は、自分を統制することができるようになっていきました。
以前は、非生産的な行為がめだちました。

たとえば指をかむということです。
あまりにも指をかむので、指にイボができています。

カウンセリングの中で、指かみも減っていきました。
それにそって、イボも小さくなっていったのです。

イボが小さくなることは、自分で分かります。
当然、イボは小さい方がいいのです。

そこから、プラスのルートが開かれます。
指かみが減り、イボも小さくなるというルートです。

イボも小さくなれば、指かみも減ります。
そんな好循環が、生まれました。

この生まれた好循環は、大きくなります。
生活全体に波及します。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 09:09Comments(0)カウンセリング

2014年09月19日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 266

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

その捉え直しが一歩になって成長、発達していきます。
その積み重ねが、大きなプロセスになっていきます。

この子は、自分を統制することができるようになっていきました。
以前は、非生産的な行為がめだちました。

たとえば指をかむということです。
あまりにも指をかむので、指にイボができています。

カウンセリングの中で、指かみも減っていきました。
それにそって、イボも小さくなっていったのです。

イボが小さくなることは、自分で分かります。
当然、イボは小さい方がいいのです。

そこから、プラスのルートが開かれます。
指かみが減り、イボも小さくなるというルートです。

イボも小さくなれば、指かみも減ります。
そんな好循環が、生まれました。

この生まれた好循環は、大きくなります。
生活全体に波及します。

生活全体が、前向きに変わっていきます。
これこそ真の解決です。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 09:19Comments(0)カウンセリング

2014年09月20日

大きな困難を持つ子供のカウンセリング 267

お知らせ 東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

今日も「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」を述べます。
カウンセリングにより子供がより美しく生きだすためには、とにかく前に問題解決を進めることです。

問題解決を、構築していくことです。
これがカウンセリングにより、子供がより美しく生きだすためのポイントです。

前に進むことこそが、真の解決です。
子供は成長段階にいます。よって成長こそが、強調されます。

その子の長所を、先ず発見することです。
次にその長所を、育むことです。

ここに子供のカウンセリングの持つ、特殊性があります。
その特殊性とは、子供の成長はカウンセリングの追い風になると言うことです。

当然、子供の人間性をすべて把握することはできません。
長所のみを把握すればよいのです。

長所のみを把握して、子供の成長という追い風に乗せます。
その追い風は、すべてを前に進めます。

上げ潮は、すべてを押し上げます。
これが子供のカウンセリングの持つ、特殊性です。

そのためにカウンセリングには、それほど科学的な客観性は必要ではありません。
子供とのこころの関係性が、大切です。

カウンセラーと子供との相互作用により、現実のカウンセリングは進められます。
そうやってこころの結びつきを、育むのです。

先ずその子なりの「うり」を、発見することが大切です。
その子にしかできない長所、「うり」を発見することです。

次にカウンセラーは、その「うり」を子供とともに大切に育むのです。
そうすればカウンセラーと子供の結びつきは、真のものになっていきます。

カウンセラーと子供の結びつきが真のものになればなるほど、真の子供の姿が浮かび上がります。
子供はいきいきとしてきます。

カウンセラーは子供を、勇気付けることです。
はげまし、応援することです。

そうすれば、子供はさらに協力的になります。
ベストの姿を、現してきます。

ただしけっして、子供のマイナスな性格傾向を無視するものではありません。
多くの場合、プラスを強調してカウンセリングを行う方が効果的なのです。

ただしまれにその子にしかできない長所、「うり」を発見できない子供もいます。
そのときは、工夫も必要です。

多くの場合、長所の見つからない子供は、母親に不安感が強いのです。
その不安を感じて面接室で萎縮して、のびのびできないのです。

この場合は母親と、子供の面接を別々に行うことです。
そうすれば、面接はスムーズに進みます。

それに親とケンカをして、面接に来ることもあります。
このように親子関係が直接、面接に入り込んでくることは避けなければいけません。

そのために、母親と子供の面接を別々に行います。
しかしカウンセリングが深まったら、母親と子供が同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。

それに父親と兄弟の同席の面接も可能になりますし、かつ必要です。
すなわち家族全員の面接も可能であり、かつ必要です。

現在、カウンセリングは家族全員の面接を含んだものに変わってきています。
特に子供のカウンセリングでは、家族全員の面接は強調されています。

個人のみのカウンセリングでは、カウンセラーもその人だけしか把握できません。
家族全員を把握することの大切さが最近、強調されてきています。

そこにファミリー・カウンセリングが生まれたのです。
東京大学の中釜先生は、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を提起しています。

これからのカウンセリングは、統合されていくでしょう。
おそらくその中でファミリー・カウンセリング、家族療法は重要な位置をしめるでしょう。

大きな困難を持つ子供をモデルに、ファミリー・カウンセリングによる心理療法の統合を述べたいと思います。小学校一年生の女子児童です。

この子は、落ち着きがありません。
小学校入学前から落ち着きがありませんでした。

落ち着きのなさゆえに、困ったことをします。
家庭では、両親のじゃまをします。

小学校入学でも、落ち着きのなさゆえに困ったことをします。
先生のじゃまをします。

そこで先生と話し合い、カウンセリングを受けることになりました。
カウンセラーは前に解決を構築することを軸に、カウンセリングをスタートしました。

ただし前に解決を構築するといっても、手さぐりではできません。
手がかりは必要です。

そこでカウンセラーは、母親から家庭での生活について尋ねました。
なお子供のカウンセリングには母親が参加することは多く、父親はまれです。
この子も、そうでした。

特にカウンセリングの初期は、母親のみの参加は多いのです。
しかしアメリカでは、父親も初期から参加します。

これは日米の、文化差です。
米国では日本よりも、子育てに父親も参加します。

カウンセリングに父親の参加が得られれば、よりスムーズにカウンセリングは進みます。
父親の参加はカウンセリング成功の、大きなポイントです。

母親から家庭での生活について尋ねると、次のことが分かりました。
両親が話し始めると、仲に入ってきます。

話にわり込むのです。
学校でも、先生の話にわり込みます。

話にわり込めば、当然「わり込むな」となります。
このくり返しです。

多くの場合、わり込みは不安の表現です。
不安を、わり込みで表現しています。

わり込みにより、自分の居場所を確保しています。
それぐらい、居場所のない不安のなかにいるのです。

よって大切なことは、両親が子供に肯定的な関心を持つことです。
それが、いま最も大切です。

ところがいまこの子は両親や、先生にしかられていたのです。
最も解決の困難な場所に、両親や先生はいました。

そのためには、わり込んでも、先ず両親が子供をしからないことです。
それにより、わり込みという不安の表現の、クッションになれます。

不安の表現のクッションに、両親がなるのです。
これは大切です。

そのためには、「しからない」ことです。
不安をやわらげるクッションという自覚を持って、「しからない」ことです。

それに、次のことをプラスします。
子供を「ほめる」ことです。

「しからない」で、子供を「ほめる」ことです。
 このことは子供だけではなく、親自身にも大きな変化をあたえます。

誰でもほめられれば、前向きになれます。
それだけではなくほめた人も、前向きになれます。

こうやって悪循環から、抜け出すのです。
さらに好循環を、歩めば良いのです。

今までは、「~はできてあたりまえだ」という対応をしていました。
しかし、子供を「ほめる」ことにチェンジしました。

すると、また両親を困惑させることが起きました。
嬉しそうな顔をするときと、顔をしかめるときがあります。

当然ながら両親は、嬉しそうな顔をするときは安心します。
だが顔をしかめるときは、不安になります。

カウンセリングでは悪循環から、好循環に一直線に進むことはまれです。
多くの場合、関所があります。

顔をしかめることは、カウンセリングの次の関所です。
この関所に関して、両親と考えてみました。

「常に顔をしかめることはありませんね?」
これは当然、カウンセリングを行っていても確認できます。

カウンセラーは、カウンセリング中にそれを確認します。
ただし両親に、日常生活の中で見てもらうことも必要です。

いま両親は「~はできてあたりまえだ」という対応から、「ほめる」ことにチェンジしました。
ここに原因は、あるのかもしれません。

当然、何事もチェンジしたばかりのときは不自然さは伴ないます。
その不自然さに、原因はあるのかもしれません。

それを含めて両親に、日常生活の中で子供に注意を向けてもらいました。
その結果、一つのことに気付きました。

両親は日常生活の中で、やみくもにほめていました。
子供をほめ倒し、していたのです。

不本意にほめられることは、誰でも嫌なことです。
ここに原因があったのです。

ほめ倒しでは、子供も不本意です。
本当にほめることが、大切です。

子供はほんものでなければ、満足しません。
ほんものの愛でなければ、不本意です。

カウンセラーは両親に、次のようにアドバイスしました。
「子供が本当にほめられたいことを、見つけてください。」

あとは両親の努力です。両親にまかせます。
カウンセリングは、やりすぎて失敗することが多いのです。

カウンセリングで学んだことを、両親が自分たちなりにとらえるのです。
それを活かすのです。

両親はアドバイスにしたがって、みました。
子供が本当にほめられたいことを、見つけようとしました。

そうすると、子供が「自分で決めて自分でやったこと」ではうれしそうな顔をします。
けっして、顔をしかめません。

子供も主体的でなければ、ほめられても不本位です。
うれしくありません。

両親は子供が本当にほめられたいことを、見つけようと協力しました。
この協力だけでも、大きな効果はあります。

多くの子供の問題は、両親に協力関係が築けないことから起きます。
よって両親に協力関係が築けただけでも、改善に向かいます。

協力関係が築けたときに、気付きも生まれます。
子供に肯定的な姿勢を、示すべきです。

両親は子供が本当にほめられたいことを、いま見つけました。
子供は「自分で決めて自分でやったこと」を、ほめてもらいたかったのです。

両親はこのことから、みずからの行いをふり返りました。
そうすると、一つの大きなことに気付いたのです。

それは子供は「自分で決めて自分でやりたかった」という、気付きです。
自分たちは、それをブロックしていたのかもしれないとも気付きました。

子供の成長は、子供自身にまかせることも必要です。
それに気付きました。

子供の成長を子供自身にまかせるときに、自律性も育まれます。
特に一定以上の成長段階に至ったら、それは大切です。

両親は子供の成長に沿って、動けなかったのです。
それに、いま気付きました。

大きな困難を持つ子供の問題は、このように両親と子供の成長のずれが原因であることが多いのです。
そのときカウンセリングは、親教育の要素を持つものになります。

子供のカウンセリングであればあるほど、親教育の要素は強くなります。
家族全体が良くなる必要性が、強くあります。

逆に言えば、家族全体が良くなればあとは自動的に進みます。
子供も、自ずから良くなるのです。

ものごとは自然に良くなっていくのが、本当のあり方です。
力を入れて、本当に良くなることはありません。

次は「大きな困難を持つ子供のカウンセリング」として、乱暴な子供を述べます。
これは学校のような社会的な場で、暴力をはたらく子供です。

先ず暴力をはたらく乱暴な人は、一つの考え方に支配されています。
それは「他者は自分を満足させるべきだ」という、考えによる支配です。
 
「他者は自分を満足させるべきだ」けど、満足させてくれない。
これが、社会的な場での暴力の原因です。

それゆえに、「他者のミスを許せない」のです。
ここで、つまずいています。

本当は「人はみんなミスをするし、ミスをすることを許されています」
このことが、解決のポイントです。

乱暴な子供に特徴的なことは、過食の問題です。
多くの場合、食べすぎであり、好きなものしか食べないのです。

大分大学の教授であられた飯野節夫先生は、次のように論じています。
「このような食生活が子供の問題行動の原因」と、考えられる。

飯野先生は、「人の生活は食事により決まる」と述べています。
「子供の問題行動は不適切な食事」の結果としました。

現実に問題行動を起こす子供は、食生活が乱れています。
お菓子ばかり食べて、野菜を食べない子は多いのです。

このモデルの子の場合は、それがありませんでした。
この事は、注目すべきことです。

中学2年生の男子生徒が、きちんと食生活をおくっていることはまれです。
特に問題行動をともなう場合は、まれです。

このように、プラスに注目することは大切です。
マイナスよりも、プラスに注目すればベクトルはプラスに向かいます。

いまのマイナスのベクトルよりも、プラスのベクトルは大切です。
プラスに軸足を置けば、全てはプラスの方向に向かいます。

ただしマイナスに関しても、把握しておくことは必要です。
そうでなければ、戸惑うことに出くわします。

カウンセリング中に戸惑わないためにも、来談者のマイナスを把握することは必要です。
プラスもマイナスも、来談者その人なのです。

ただしマイナスには、触れない。
その人は、今までさんざんマイナスに触れられています。

マイナスに触れないことこそが、愛です。
愛は人も、地球も救います。

この子のマイナスは、執着的な性格です。
こだわりの強い性格です。

頑固でこだわりの強い性格です。
こだわりは、こころの問題を持つ人に多いものです。

こころが柔軟に動かないことが、こだわりの核にあります。
やわらかいこころに、なっていくことがカウンセリングの目的と言えます。

この子の改善の手がかりの一つは、きちんと食生活をおくっていることにあります。
そうとらえ、前に進みました。

この子の場合も、解決を前に構築するカウンセリングを用いました。
とにかく解決は、前に進むことにあります。

そのために、次の質問をしました。
「いま困っていることがなくなったら、どうなるでしょう?」

それに、こう答えました。
「いらいらさせられなくなったら、おだやかに生活できるな~」

すなわち、生産的に生活できるということです。
誰しも、生産的な生活をのぞみます。

この子は生産的な生活をのぞみながら、それがかなわないのです。
何かが、それをブロックしています。

そのブロックしているものを、とっていくのがカウンセリングです。
そのために、前に進むのです。

ブロックをとるには、会話によることが多いのです。
ただし会話が、すべてではありません。

そのほかの方法も、カウンセリングにはあります。
この子の場合は、動物のミニチュアを用いました。

動物のミニチュアを通して、会話します。
中にクッションを、一つ入れます。

動物のミニチュアというクッションを中に入れることにより、ある効果をもたらすのです。
それは困っていることを、自分の外側に出すのです。

困難を外側に出し、客観化するのです。
そこから客観した見方を進めます。

私たちも多くの場合、外側から見れば困難は小さくなります。
困難に巻き込まれるから、大きくなっていくのです。

巻き込まれないことこそが、最も大切です。
その姿勢を身につけることが、カウンセリングです。

動物のミニチュアというクッションを中に入れて、次の質問をしました。
「ここに何種類もいる動物の中で、他の動物にいらいらさせられない動物は?」

「ぞうさん」
こう答えました。

何で?
この質問により、理解を深めるのです。

「ぞうさんは、ゆったりしているから」
こう答えました。

このように困難を外側に出し、客観化するのです。
このケースではぞうさんを通して、困難は外に出て客観化されました。

困難を外に出して客観化された時に、次に進んでいけるのです。
カウンセラーは、「ぞうさんみたいに、今ゆったりしてみたら」と伝えました。

この子は、カウンセリングルームで大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現です。

カウンセリングルームというある種、特別な場ですが大きくあくびをしました。
ゆったりさの表現が、できたのです。

その表現ができれば、大きな前進です。
とにかく、前に進むことが大切です。

よって大きなあくびは、大きな前進です。
親や学校の先生は、このことを取り違えがちです。

多くの場合、親や学校の先生はこう対応します。
「態度が悪い」です。

ただしカウンセリングでは、「態度が最も良い」のです。
自分の気持ちに、最も素直に従っているからです。

ここからカウンセリングの本質に、入っていきます。
この子は今まで、「態度が悪い」と言われ続けてきたのでしょう。

それをチェンジするのです。
チェンジするためには、より大きな対応も必要です。

この場合、「態度が悪い」と言わないことが大きな対応でもあるのです。
「言わないで語ること」が、ほんものです。

言葉よりも、姿勢です。
カウンセラーと相談者の関係性です。

関係性の重視は、とても大切です。
フロイドが話の内容を重視したことに対して、関係性を重視します。

フロイドにとって話の内容が、正しいことが重視されています。
しかし新しいカウンセリングでは、関係性が重視されます。

話の内容にやっきになっているときに、関係性に目を向けたのです。
ここにロジャーズの卓越性はあります。

この子も、「態度が悪い」と言われませんでした。
最初は、不思議な気がしたでしょう。

この不思議さが信頼にチェンジしていくプロセスが、カウンセリングです。
カウンセリングのプロセスです。

今までだったら、「態度が悪い」と言われたでしょう。
今度は、違います。

これは大きな発見です。
それは前向きな生き方の発見に通じます。

人はそれぞれ、それぞれのこころの世界に生きているとも言えます。
この子はいままで、「態度が悪い」と言われる世界に生きていました。

世界というものを、そう考えていたのです。
そんな狭い世界に、閉じ込められていたのです。

狭い世界に、閉じ込めたのは親とも言えます。
ただし正確には、親も狭い世界に閉じ込められていたのです。

個人は、それぞれのこころの世界に生きています。
親は、親のこころの世界に生きています。

多くの場合、他者を狭い世界に閉じ込める人は次のような人です。
自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人です。

この自分自身も、狭い世界に閉じ込められている人にもそれなりの理由があります。
狭い世界しか知らないのです。

世界を、「~というものだ」と認識しています。
その「~というものだ」が、狭いのです。

言いかえれば、世界を「~というものだ」と狭くとらえています。
自分を苦しめるぐらい、狭くとらえています。

親も世界を、自分を苦しめるぐらい狭くとらえていることは多いのです。
それも子供の苦しみにつながっています。

よってその親の世界も、正される必要があります。
それも子供のカウンセリングの一部です。

よって多くの場合、子供のカウンセリングとともに親のカウンセリングも行われます。
カウンセラーは親子で異なることもあれば、同じカウンセラーが行うこともあります。

年齢が高い場合ほど、カウンセラーは親子で異なることが多いのです。
この子は、親子ともに同じカウンセラーが行いました。

できるだけ家庭での状態と、カウンセリングルームでの状態を一致させたいからです。
このケースでは、それが求められます。

カウンセラーは、次の質問を行いました。
「いま子供さんのことで困っていますが、それが改善するために最も必要なことは何ですか?」

それに対して、こう答えました。
「私に、相談相手がいることです。」

この人に、いま相談相手はいません。
それが困難を、大きくさせているのです。

それを踏まえて、カウンセラーはこう答えました。
「私が、相談相手です。」

この人は、ふと気付きました。
「灯台もと暗し」です。

この気付きにこの人は、ほほ笑みました。
カウンセラーも、ほほ笑みました。

ユーモアをともなった、気付きは大切です。
迷路を抜け出すのは、ユーモアの力です。

ユーモアは、迷路に抜け道をつくります。
正確には、抜け道に気付かせます。

道は壁でふさがれているように、見えます。
しかし、それは思い込みです。

最初から、壁はありません。
壁は、まぼろしです。

そのまぼろしに気付かせるのが、カウンセリングです。
まぼろしは、心の中にあるだけです。

カウンセラーは、さらにこう述べました。
「子供さんにも、相談相手はできましたね。」

こうやって、話を深めます。
それと同時に、安心感を与えます。

困難は、共有されました。
いまそれが、実感されたのです。

気持ちが重なるだけで、大きな意味があります。
とくに人間性心理学や、その意味は異なりますがユング心理学でも強調されています。

人間性心理学では、気持ちが重なることを自己概念の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、自己概念が解放されます。

ユング心理学では、気持ちが重なることを集合的無意識の方向から光を当てます。
気持ちが重なるだけで、集合的無意識の束縛から解放されます。

このように、気持ちが重なるだけで大きな意味があります。
私たちの日常会話でも、同じです。

自分というものが、気持ちが重なるだけで、拡大します。
大きくなります。

この人も、気持ちが大きくなりました。
安心感が、育まれました。

この子のカウンセリングは、ひと月に一回のペースで進みました。
なお以前はカウンセリングは、一週間に一回で行われることが多かったのです。

最近では、ひと月に一回のカウンセリングも多いのです。
特にミラノ派の家族療法では、それが強調されます。

フロイドはほぼ毎日、精神分析療法を行いました。
いまの日本では、これは不可能です。

カウンセリング全体の傾向は、ケースワークのような他の要素もとり入れていくのです。
そうやって面接回数を、減らします。

カウンセリング以外の力を、かりていきます。
とくに困難の大きい人ほど、カウンセリング以外の力をかりる必要があります。

大阪大学の倉光先生も、困難の大きい人に対するネットワークの重要性を語っています。
ネットワークによる、支え合いが大切です。

この子のカウンセリングはひと月に一回のペースですから当然、その進み方も異なります。
現実生活をいかしながらの、カウンセリングになります。

ひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになることが課題です。
ただし学校の宿題のように、強制ではありません。

あくまでも本人が考え、行うことが大切です。
それが抑えられているからこそ、困ったことが起きます。

この子もひと月の間に、いままでできなかったことが何かひとつできるようになりました。
そのできたことを、東京スカイツリーのような塔を積み木で作ります。

そうやって、ひとつできるようになったことを視覚化します。
視覚化が、さらなる動機付けになります。

この親子にも、それを実施しました。
その結果にも、ひとつの特徴が見られました。

子供はいままでできなかったことが何かひとつできたら、それを「100点」と考えました。
だが母親は、「20点」と評価しました。

これぐらい、落差があります。
ずれがあります。

ただしどちらも、進歩の途中にいることにむとんちゃくです。
私たちの人生の歩みは、進歩の途中です。

いまの姿勢が大切です。
いま前向きであれば、あたえられた状況の中で前向きに進みます。

そのために、進歩の途中にいることを自覚することです。
自覚されただけでも、大きく前に進みます。

この自覚された進歩を、受け止めることです。
次に、前に進めることです。

自覚された進歩を受け止め、前に進めるサイクルがカウンセリングです。
こんな同じサイクルを繰り返しながら、前に進むのです。

ただしまったく同じ人も、まったく同じケースもありません。
その人、そのケースに応じて考えることが必要です。

この子の場合、先ず進歩が自覚された出来事を知ることです。
次に、その進歩を受け止めることが大切です。

それを受け止めたら、前に進めれば良いのです。
常に前に前に、進んでいくことが大切です。

そうやって小さな一歩、小さな一歩を進めていくのです。
子供は発達という、上げ潮の中にいます。

その上げ潮に乗ってしまえば、そこから先はスムーズに進みます。
上げ潮は、全てを引き上げていくのです。

子供のカウンセリングは、波に乗ることが大切です。
その波も、静かな波とは言えないのです。

あるときは、横から大きな波がおそいかかります。
内側から、渦ができることもあります。

それをよけながら、波に乗っていきます。
家族の中から、渦ができることも多いのです。

小中学生の場合は、学校で渦ができることも多いのです。
そのために、学校の先生とのコミュニケーションも大切です。

この子の場合も、母親を通して学校の先生とコミュニケーションをとりました。
いっけん無意味に見えることにも、その子なりの意味のあることを伝えました。

学校の先生も、それを理解しました。
理解は、大きな前進です。

理解から、受容が起こります。
いっけん無意味に見えることも、受け入れられます。

学校の先生も無意味に見えることを、受け入れられれば大きな前進です。
解決のネットワークができたのです。

こころの問題が大きなものであればあるほど、解決のネットワークが必要です。
ネットワークがその人を、支えます。

逆に言えば、現代社会のたすけ合う力の弱まりも大きな問題です。
このたすけ合う力の弱まりも、心の問題の大きな発生原因です。

jコミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
そのことを京都大学の河合俊雄先生も、シャーマニズムを例に述べています。

コミュニティーは、個人を支える力を失ったのです。
シャーマニズムは、コミュニティーの中で行われます。
個人を支える力を用います。

身体的、精神的な病を、コミュニティーは全体の問題としてとらえます。
その個人と病を、みんなで支えます。

そこには、「個人の病はない」という発想があります。
よって、みんなで支えるものなのです。

言いかえれば、「個人の病はみんなの病」です。
ここにシャーマニズムの特徴があります。

家族療法にも、この考えは一部あります。
それは「個人の病は家族システムの病」というものです。

その家族を形成する、システムを正すのです。
それが家族療法です。

家族システム全体の、ぎくしゃくさを正します。
それが、個人の改善につながるのです。

それに個人が改善しても、家族に歪みが残っていると改善を妨げます。
生活が、前に進みにくいのです。

極端な例では、子供の不適応が改善したら両親の仲が悪くなったということもあります。
このケースでは、子供の不適応は両親をとりもっていたのです。

不適応には、それなりの理由があります。
家族全体のバランスを、不適応によりとっていることも多いのです。

不適応は、家族全体にバランスを与えてもいるのです。
それにより家族が、ばらばらにならないようにもしています。

カウンセリングは、そのバランスを崩すとも言えます。
ただし正確には、正すのです。

バランスは崩れながらも、平衡を保っています。
それを正す時に、平衡は崩れがちです。

バランスを正し平衡は崩れながらも、崩れきらないようにすることが大切です。
アンバランスな状態から、真に立ち直るのです。

そのためには、こころの重心こそが大切です。
カウンセリングではその重心の動きに、注意を向けます。

こころの重心が少しでも動いたら、注意しなければいけません。
そうでなければ、表面的なことは信頼するべきものです。

カウンセラーも家族も、大きな信頼に支えられてカウンセリングは進みます。
信頼という土台は、共有されるべきものです。

その土台を確認し、構築していくことです。
それがカウンセリングの、前に進むプロセスです。

信頼という土台は、けっして見えません。
コミュニィケーションを通して、共有されるのです。

信頼という土台が共有されるプロセスが、前に進んでいきます。
当然そのプロセスは、後ろに戻ることもあります。

信頼ができたから、単純に一直線に進むことはありません。
壁に当たって、そのつどそのつど信頼を捉え直していくのです。

少年野球の投手が初めてカーブが投げられたから、カーブが続けて投げられることはありません。
次に投げられないことは多いのです。

そのとき、初めてカーブが投げられたときのことをふり返ります。
そうやって、カーブの投げかたを捉え直すのです。

そもそも人間の成長、発達はこのように進み、一直線には進みません。
捉え直しながら、捉え直しながら進みます。

その捉え直しが一歩になって成長、発達していきます。
その積み重ねが、大きなプロセスになっていきます。

この子は、自分を統制することができるようになっていきました。
以前は、非生産的な行為がめだちました。

たとえば指をかむということです。
あまりにも指をかむので、指にイボができています。

カウンセリングの中で、指かみも減っていきました。
それにそって、イボも小さくなっていったのです。

イボが小さくなることは、自分で分かります。
当然、イボは小さい方がいいのです。

そこから、プラスのルートが開かれます。
指かみが減り、イボも小さくなるというルートです。

イボも小さくなれば、指かみも減ります。
そんな好循環が、生まれました。

この生まれた好循環は、大きくなります。
生活全体に波及します。

生活全体が、前向きに変わっていきます。
これこそ真の解決です。

好循環が生活全体に波及するには、小さな工夫をした方が効果的です。
それは生活と困ったことを、直接に結びつける工夫です。

次回に、さらに述べます。

  

Posted by counsellor at 09:45Comments(0)カウンセリング