2016年12月14日
新しいカウンセリング 暴力的な親に対するカウンセリング 34
お知らせ 熊本地震及び東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。
新しいカウンセリングとして、暴力的な親に対するカウンセリングを述べます。
暴力的な親に対し、カウンセラーは戸惑いを感じます。
それはカウンセリングそのものにも、否定的だからです。
さらにはカウンセラーに対する、不信感が根底にあります。
よって暴力的になります。
ただしすべての不信感の根底に、あるのは自己不信です。
自分を信じられないから、困ることが起きます。
子供に対し暴力的な親は、子育てに自信を持てません。
それゆえに爆発します。
子育てに自信を持てない親に、自信を与えることが大切です。
それがカウンセリングのスタートであり、ゴールです。
暴力的な親は、糸がこんがらがってしまった状態です。
その時、丁寧に糸をといていけません。
丁寧に糸をといていけないから、はさみで切ってしまいます。
暴力というはさみで、糸を切ります。
子供に対するいら立ちに苦しむ親が、暴力的な親になります。
その親に、怒りを向けても何の解決にもなりません。
迷路にカウンセラーも、引きずり込まれるだけです。
その結果、さらに迷路から抜け出せなくなります。
極端に暴力的な親は、人生に絶望しています。
カウンセリングでは、それを理解することが大切です。
この「理解することが大切」には、大きな意味が含まれています。
真の理解はとても雄大なものです。
暴力的な親、人生に絶望した人に対する理解です。
それは小手先の対応では、不可能な対応です。
人生に絶望した人は、子供に自分の絶望をぶつけます。
デッドボールを投げます。
子供に、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親もいます。
そうやって、子供に自分の絶望をぶつけます。
夫婦仲の悪さから抜け出さなさを、子供にぶつけます。
そうやって、自分の苦しみを慰めます。
多くの場合、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返された子供は、自分の存在を呪います。
正確には親に、呪われたと考えます。
そこから、人格形成されます。
土台そのもののゆがみの上に、すべてが作られます。
土台のゆがみは、その上にゆがんだものを作りがちです。
決して創造するものは、ないのです。
そのために、人格形成はつぎ足しになります。
創造的な人格形成には、なりません。
常に積み木を重ねていくような、不安定なものしかできません。
その結果、少しのことで崩れやすいのです。
常に揺れる事を恐れます。
その姿は揺らされやすくもします。
こんな不安定な人格形成しかできない子供が集まれば、いじめが生まれます。
いじめ問題は、これぐらい根が深いのです。
常に不安定で揺れる事を恐れる集団が、子供集団です。
そこには揺らし、揺らされる要素が潜んでいます。
そこから、いじめは生まれます。
よって子供集団だけに対する対応では、改善しません。
人格形成に戻って、対応する必要があります。
そうしなければ、本当の解決にはなりません。
よって学校の先生も、その理解は必要です。
子供と人間性に対する、深い理解です。
逆に言えば、親も先生も子供から試されています。
人間性を子供から試されています。
それぐらい、親も先生も子供からぎりぎりの挑戦を受けています。
学校は、もう大きな試練の中にあります。
それにその親や先生に対する対応方法も確立しています。
たとえば子供に、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親にはこう対応します。
カウンセラーは「まだ子供に対して希望をもっていますね」と語ります。
常に前向きにとらえます。
「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親に、カウンセラーの「まだ子供に対して希望をもっていますね」という語りかけは、大きな勇気と希望の門を開きます。
このような母親は、閉塞感に苦しんでいます。
その閉塞感に穴を開けます。
穴を開け、風を通します。
風通し良くなった時、空気も入れかわっています。
こころの空気の入れかわりと同時に、すべて解決していることも多いのです。
あとは、生活の中で転んだらサポートします。
さらに述べます。
新しいカウンセリングとして、暴力的な親に対するカウンセリングを述べます。
暴力的な親に対し、カウンセラーは戸惑いを感じます。
それはカウンセリングそのものにも、否定的だからです。
さらにはカウンセラーに対する、不信感が根底にあります。
よって暴力的になります。
ただしすべての不信感の根底に、あるのは自己不信です。
自分を信じられないから、困ることが起きます。
子供に対し暴力的な親は、子育てに自信を持てません。
それゆえに爆発します。
子育てに自信を持てない親に、自信を与えることが大切です。
それがカウンセリングのスタートであり、ゴールです。
暴力的な親は、糸がこんがらがってしまった状態です。
その時、丁寧に糸をといていけません。
丁寧に糸をといていけないから、はさみで切ってしまいます。
暴力というはさみで、糸を切ります。
子供に対するいら立ちに苦しむ親が、暴力的な親になります。
その親に、怒りを向けても何の解決にもなりません。
迷路にカウンセラーも、引きずり込まれるだけです。
その結果、さらに迷路から抜け出せなくなります。
極端に暴力的な親は、人生に絶望しています。
カウンセリングでは、それを理解することが大切です。
この「理解することが大切」には、大きな意味が含まれています。
真の理解はとても雄大なものです。
暴力的な親、人生に絶望した人に対する理解です。
それは小手先の対応では、不可能な対応です。
人生に絶望した人は、子供に自分の絶望をぶつけます。
デッドボールを投げます。
子供に、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親もいます。
そうやって、子供に自分の絶望をぶつけます。
夫婦仲の悪さから抜け出さなさを、子供にぶつけます。
そうやって、自分の苦しみを慰めます。
多くの場合、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返された子供は、自分の存在を呪います。
正確には親に、呪われたと考えます。
そこから、人格形成されます。
土台そのもののゆがみの上に、すべてが作られます。
土台のゆがみは、その上にゆがんだものを作りがちです。
決して創造するものは、ないのです。
そのために、人格形成はつぎ足しになります。
創造的な人格形成には、なりません。
常に積み木を重ねていくような、不安定なものしかできません。
その結果、少しのことで崩れやすいのです。
常に揺れる事を恐れます。
その姿は揺らされやすくもします。
こんな不安定な人格形成しかできない子供が集まれば、いじめが生まれます。
いじめ問題は、これぐらい根が深いのです。
常に不安定で揺れる事を恐れる集団が、子供集団です。
そこには揺らし、揺らされる要素が潜んでいます。
そこから、いじめは生まれます。
よって子供集団だけに対する対応では、改善しません。
人格形成に戻って、対応する必要があります。
そうしなければ、本当の解決にはなりません。
よって学校の先生も、その理解は必要です。
子供と人間性に対する、深い理解です。
逆に言えば、親も先生も子供から試されています。
人間性を子供から試されています。
それぐらい、親も先生も子供からぎりぎりの挑戦を受けています。
学校は、もう大きな試練の中にあります。
それにその親や先生に対する対応方法も確立しています。
たとえば子供に、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親にはこう対応します。
カウンセラーは「まだ子供に対して希望をもっていますね」と語ります。
常に前向きにとらえます。
「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親に、カウンセラーの「まだ子供に対して希望をもっていますね」という語りかけは、大きな勇気と希望の門を開きます。
このような母親は、閉塞感に苦しんでいます。
その閉塞感に穴を開けます。
穴を開け、風を通します。
風通し良くなった時、空気も入れかわっています。
こころの空気の入れかわりと同時に、すべて解決していることも多いのです。
あとは、生活の中で転んだらサポートします。
さらに述べます。