2017年03月18日
新しいカウンセリング 暴力的な親に対するカウンセリング 80
お知らせ 熊本地震及び東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。
新しいカウンセリングとして、暴力的な親に対するカウンセリングを述べます。
暴力的な親に対し、カウンセラーは戸惑いを感じます。
それはカウンセリングそのものにも、否定的だからです。
さらにはカウンセラーに対する、不信感が根底にあります。
よって暴力的になります。
ただしすべての不信感の根底に、あるのは自己不信です。
自分を信じられないから、困ることが起きます。
子供に対し暴力的な親は、子育てに自信を持てません。
それゆえに爆発します。
子育てに自信を持てない親に、自信を与えることが大切です。
それがカウンセリングのスタートであり、ゴールです。
暴力的な親は、糸がこんがらがってしまった状態です。
その時、丁寧に糸をといていけません。
丁寧に糸をといていけないから、はさみで切ってしまいます。
暴力というはさみで、糸を切ります。
子供に対するいら立ちに苦しむ親が、暴力的な親になります。
その親に、怒りを向けても何の解決にもなりません。
迷路にカウンセラーも、引きずり込まれるだけです。
その結果、さらに迷路から抜け出せなくなります。
極端に暴力的な親は、人生に絶望しています。
カウンセリングでは、それを理解することが大切です。
この「理解することが大切」には、大きな意味が含まれています。
真の理解はとても雄大なものです。
暴力的な親、人生に絶望した人に対する理解です。
それは小手先の対応では、不可能な対応です。
人生に絶望した人は、子供に自分の絶望をぶつけます。
デッドボールを投げます。
子供に、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親もいます。
そうやって、子供に自分の絶望をぶつけます。
夫婦仲の悪さから抜け出さなさを、子供にぶつけます。
そうやって、自分の苦しみを慰めます。
多くの場合、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返された子供は、自分の存在を呪います。
正確には親に、呪われたと考えます。
そこから、人格形成されます。
土台そのもののゆがみの上に、すべてが作られます。
土台のゆがみは、その上にゆがんだものを作りがちです。
決して創造するものは、ないのです。
そのために、人格形成はつぎ足しになります。
創造的な人格形成には、なりません。
常に積み木を重ねていくような、不安定なものしかできません。
その結果、少しのことで崩れやすいのです。
常に揺れる事を恐れます。
その姿は揺らされやすくもします。
こんな不安定な人格形成しかできない子供が集まれば、いじめが生まれます。
いじめ問題は、これぐらい根が深いのです。
常に不安定で揺れる事を恐れる集団が、子供集団です。
そこには揺らし、揺らされる要素が潜んでいます。
そこから、いじめは生まれます。
よって子供集団だけに対する対応では、改善しません。
人格形成に戻って、対応する必要があります。
そうしなければ、本当の解決にはなりません。
よって学校の先生も、その理解は必要です。
子供と人間性に対する、深い理解です。
逆に言えば、親も先生も子供から試されています。
人間性を子供から試されています。
それぐらい、親も先生も子供からぎりぎりの挑戦を受けています。
学校は、もう大きな試練の中にあります。
それにその親や先生に対する対応方法も確立しています。
たとえば子供に、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親にはこう対応します。
カウンセラーは「まだ子供に対して希望をもっていますね」と語ります。
常に前向きにとらえます。
「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親に、カウンセラーの「まだ子供に対して希望をもっていますね」という語りかけは、大きな勇気と希望の門を開きます。
このような母親は、閉塞感に苦しんでいます。
その閉塞感に穴を開けます。
穴を開け、風を通します。
風通し良くなった時、空気も入れかわっています。
こころの空気の入れかわりと同時に、すべて解決していることも多いのです。
あとは、生活の中で転んだらサポートします。
この転んだ時のサポートこそが、カウンセリングの本質とも言えます。
多くのカウンセリングでは、緊急のカウンセリングはほとんど行いません。
この緊急のカウンセリングこそが、カウンセリングの本質と筆者は考えます。
そこで電話による緊急カウンセリングの普及も、急がれます。
電話による緊急カウンセリングと、普通のカウンセリングの二つは大切です。
2本の柱により、カウンセリングは完成します。
「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親の問題は、その母親に何度も向かってくる言葉です。
一度だけで、けっしてクリアーになりません。
水泳でも、一直線に泳げるようにはなれません。
泳げたと思えたら、また溺れます。
水泳は溺れながら、学ぶものです。
カウンセリングも同じです。
ある所までうまくいきます。
そこでうまくいかず、溺れます。
カウンセリングでは、そのとき自分をとらえ直します。
一直線に進むのではなく、とらえ直しながら前に進みます。
何事も最初に決めて、そのまますべてその通りにいくものではありません。
転びながら、私たちは歩みます。
たっだし現実にカウンセラーの「子供に希望をもっていますね」という語りかけにより、大きく勇気と希望の門が開いたら次にその門から入ります。そのための質問をします。
大切なことは「子供に希望をもっていますね」という言葉の、希望という意味です。
より正確に希望は、親の子供にいだく期待です。
親は子供に、まだ期待しています。
これを広め、深めることが大切です。
そのための質問をします。
先ず「いま子供に伸びる芽を感じていらっしゃいますね?」
この言葉は期待の確認であり、勇気付けの意味もあります。
それゆえに、カウンセラーは暖かく伝えるべきです。
暖かく伝えることは大切です。
カウンセリングは暖かさこそが、すべてということもできます。
カウンセラーとの関係が、暖かく思いやりある関係であることは大切です。
そのとき、すべて前向きに動き出します。
たとえば「いま子供に伸びる芽を感じていらっしゃいますね?」という質問も、活かされます。
前向きなものが、出てきます。
先ず親自身が、暖かく受け入れられなければいけません。
そこから子供の伸びる芽も出てきます。
土に水を与えるのと同じです。
そうやって、芽は出ます。
カウンセリングは植物を育てるのに似ています。
ゆっくり、そして暖かく育てます。
そうやって子供の伸びる芽が出てきても、親にも暖かい光を当て続けます。
家族全体に、暖かい光を当て続けます。
当然、水も与え続けます。
おだやかに育てます。
そうやって暴力的な親の攻撃性をとっていきます。
そもそも暴力的な親も、自分の攻撃性に苦しんでいます。
他者を嫌うことにより、自分を傷つけます。
相手を切ることは、自分も切ることです。
暴力的な親の攻撃性を弱めます。
攻撃性による苦しみを取ります。
攻撃性を自然に消していきます。
自然消滅させます。
それとともに子供も変わります。
同時に現実のリフレームも、カウンセラーと行っていきます。
リフレームとは、めがねのフレームをかえるようなことです。
出来事を考える、フレームをかえます。
たとえば「するのが遅い」という事は、こうフレームをかけます。
「何事にも慎重だ」です。
のろのろしていて嫌だと考えないで、慎重というフレームをかけます。
前向きなフレームをかけます。
新しいフレームのめがねをかけます。
そのめがねで見ます。
そうすれば、親の見える世界が変わります。
それだけではなく、子の見える世界も変わります。
親子で、新しい世界に生まれ変わります。
その世界に生きます。
正確にはめがねのフレームをかえるのではなく、レンズを交換します。
近眼の人が、自分にあったレンズに交換します。
同じ世界です。
だがよく見える世界です。
よく見え、かつ真実の世界です。
どれだけ真実に近いかは大きなポイントです。
誰しも、現実をゆがめて見ています。
その程度がはなはだしく大きいと、問題です。
こうやって現実をゆがめて見なくなるように、カウンセリングは進みます。
それにともない行動も変化します。
カウンセリングは以下のように示されます。
現実をゆがめて見なくなる⇒行動の変化
さらにこれは、下↓ のように続きます。
現実をゆがめて見なくなる⇒行動の変化⇒現実をゆがめて見なくなる⇒行動の変化⇒⇒⇒
このような好循環が起きます。
そのとき今までの悪循環は正されます。
好循環による悪循環の克服。
これがその人と生活を正します。
最も困難なのは、はじめの一歩です。
現実をゆがめて見なくなる⇒行動の変化
この⇒です。
⇒を、どうするかが最大のハードルです。
そのハードルは、カウンセリング関係の中で正されます。
相談に来て現実をゆがめて見なくなったら、先ずカウンセリングの場で試みるのです。
言いたくないことを、言ってみます。
たとえば、今まで怒られたようなことでも言ってみるのです。
そのための場が、カウンセリングです。
さらに述べます。
新しいカウンセリングとして、暴力的な親に対するカウンセリングを述べます。
暴力的な親に対し、カウンセラーは戸惑いを感じます。
それはカウンセリングそのものにも、否定的だからです。
さらにはカウンセラーに対する、不信感が根底にあります。
よって暴力的になります。
ただしすべての不信感の根底に、あるのは自己不信です。
自分を信じられないから、困ることが起きます。
子供に対し暴力的な親は、子育てに自信を持てません。
それゆえに爆発します。
子育てに自信を持てない親に、自信を与えることが大切です。
それがカウンセリングのスタートであり、ゴールです。
暴力的な親は、糸がこんがらがってしまった状態です。
その時、丁寧に糸をといていけません。
丁寧に糸をといていけないから、はさみで切ってしまいます。
暴力というはさみで、糸を切ります。
子供に対するいら立ちに苦しむ親が、暴力的な親になります。
その親に、怒りを向けても何の解決にもなりません。
迷路にカウンセラーも、引きずり込まれるだけです。
その結果、さらに迷路から抜け出せなくなります。
極端に暴力的な親は、人生に絶望しています。
カウンセリングでは、それを理解することが大切です。
この「理解することが大切」には、大きな意味が含まれています。
真の理解はとても雄大なものです。
暴力的な親、人生に絶望した人に対する理解です。
それは小手先の対応では、不可能な対応です。
人生に絶望した人は、子供に自分の絶望をぶつけます。
デッドボールを投げます。
子供に、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親もいます。
そうやって、子供に自分の絶望をぶつけます。
夫婦仲の悪さから抜け出さなさを、子供にぶつけます。
そうやって、自分の苦しみを慰めます。
多くの場合、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返された子供は、自分の存在を呪います。
正確には親に、呪われたと考えます。
そこから、人格形成されます。
土台そのもののゆがみの上に、すべてが作られます。
土台のゆがみは、その上にゆがんだものを作りがちです。
決して創造するものは、ないのです。
そのために、人格形成はつぎ足しになります。
創造的な人格形成には、なりません。
常に積み木を重ねていくような、不安定なものしかできません。
その結果、少しのことで崩れやすいのです。
常に揺れる事を恐れます。
その姿は揺らされやすくもします。
こんな不安定な人格形成しかできない子供が集まれば、いじめが生まれます。
いじめ問題は、これぐらい根が深いのです。
常に不安定で揺れる事を恐れる集団が、子供集団です。
そこには揺らし、揺らされる要素が潜んでいます。
そこから、いじめは生まれます。
よって子供集団だけに対する対応では、改善しません。
人格形成に戻って、対応する必要があります。
そうしなければ、本当の解決にはなりません。
よって学校の先生も、その理解は必要です。
子供と人間性に対する、深い理解です。
逆に言えば、親も先生も子供から試されています。
人間性を子供から試されています。
それぐらい、親も先生も子供からぎりぎりの挑戦を受けています。
学校は、もう大きな試練の中にあります。
それにその親や先生に対する対応方法も確立しています。
たとえば子供に、「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親にはこう対応します。
カウンセラーは「まだ子供に対して希望をもっていますね」と語ります。
常に前向きにとらえます。
「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親に、カウンセラーの「まだ子供に対して希望をもっていますね」という語りかけは、大きな勇気と希望の門を開きます。
このような母親は、閉塞感に苦しんでいます。
その閉塞感に穴を開けます。
穴を開け、風を通します。
風通し良くなった時、空気も入れかわっています。
こころの空気の入れかわりと同時に、すべて解決していることも多いのです。
あとは、生活の中で転んだらサポートします。
この転んだ時のサポートこそが、カウンセリングの本質とも言えます。
多くのカウンセリングでは、緊急のカウンセリングはほとんど行いません。
この緊急のカウンセリングこそが、カウンセリングの本質と筆者は考えます。
そこで電話による緊急カウンセリングの普及も、急がれます。
電話による緊急カウンセリングと、普通のカウンセリングの二つは大切です。
2本の柱により、カウンセリングは完成します。
「おまえがいなければ離婚する」と繰り返す母親の問題は、その母親に何度も向かってくる言葉です。
一度だけで、けっしてクリアーになりません。
水泳でも、一直線に泳げるようにはなれません。
泳げたと思えたら、また溺れます。
水泳は溺れながら、学ぶものです。
カウンセリングも同じです。
ある所までうまくいきます。
そこでうまくいかず、溺れます。
カウンセリングでは、そのとき自分をとらえ直します。
一直線に進むのではなく、とらえ直しながら前に進みます。
何事も最初に決めて、そのまますべてその通りにいくものではありません。
転びながら、私たちは歩みます。
たっだし現実にカウンセラーの「子供に希望をもっていますね」という語りかけにより、大きく勇気と希望の門が開いたら次にその門から入ります。そのための質問をします。
大切なことは「子供に希望をもっていますね」という言葉の、希望という意味です。
より正確に希望は、親の子供にいだく期待です。
親は子供に、まだ期待しています。
これを広め、深めることが大切です。
そのための質問をします。
先ず「いま子供に伸びる芽を感じていらっしゃいますね?」
この言葉は期待の確認であり、勇気付けの意味もあります。
それゆえに、カウンセラーは暖かく伝えるべきです。
暖かく伝えることは大切です。
カウンセリングは暖かさこそが、すべてということもできます。
カウンセラーとの関係が、暖かく思いやりある関係であることは大切です。
そのとき、すべて前向きに動き出します。
たとえば「いま子供に伸びる芽を感じていらっしゃいますね?」という質問も、活かされます。
前向きなものが、出てきます。
先ず親自身が、暖かく受け入れられなければいけません。
そこから子供の伸びる芽も出てきます。
土に水を与えるのと同じです。
そうやって、芽は出ます。
カウンセリングは植物を育てるのに似ています。
ゆっくり、そして暖かく育てます。
そうやって子供の伸びる芽が出てきても、親にも暖かい光を当て続けます。
家族全体に、暖かい光を当て続けます。
当然、水も与え続けます。
おだやかに育てます。
そうやって暴力的な親の攻撃性をとっていきます。
そもそも暴力的な親も、自分の攻撃性に苦しんでいます。
他者を嫌うことにより、自分を傷つけます。
相手を切ることは、自分も切ることです。
暴力的な親の攻撃性を弱めます。
攻撃性による苦しみを取ります。
攻撃性を自然に消していきます。
自然消滅させます。
それとともに子供も変わります。
同時に現実のリフレームも、カウンセラーと行っていきます。
リフレームとは、めがねのフレームをかえるようなことです。
出来事を考える、フレームをかえます。
たとえば「するのが遅い」という事は、こうフレームをかけます。
「何事にも慎重だ」です。
のろのろしていて嫌だと考えないで、慎重というフレームをかけます。
前向きなフレームをかけます。
新しいフレームのめがねをかけます。
そのめがねで見ます。
そうすれば、親の見える世界が変わります。
それだけではなく、子の見える世界も変わります。
親子で、新しい世界に生まれ変わります。
その世界に生きます。
正確にはめがねのフレームをかえるのではなく、レンズを交換します。
近眼の人が、自分にあったレンズに交換します。
同じ世界です。
だがよく見える世界です。
よく見え、かつ真実の世界です。
どれだけ真実に近いかは大きなポイントです。
誰しも、現実をゆがめて見ています。
その程度がはなはだしく大きいと、問題です。
こうやって現実をゆがめて見なくなるように、カウンセリングは進みます。
それにともない行動も変化します。
カウンセリングは以下のように示されます。
現実をゆがめて見なくなる⇒行動の変化
さらにこれは、下↓ のように続きます。
現実をゆがめて見なくなる⇒行動の変化⇒現実をゆがめて見なくなる⇒行動の変化⇒⇒⇒
このような好循環が起きます。
そのとき今までの悪循環は正されます。
好循環による悪循環の克服。
これがその人と生活を正します。
最も困難なのは、はじめの一歩です。
現実をゆがめて見なくなる⇒行動の変化
この⇒です。
⇒を、どうするかが最大のハードルです。
そのハードルは、カウンセリング関係の中で正されます。
相談に来て現実をゆがめて見なくなったら、先ずカウンセリングの場で試みるのです。
言いたくないことを、言ってみます。
たとえば、今まで怒られたようなことでも言ってみるのです。
そのための場が、カウンセリングです。
さらに述べます。
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1045
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1044
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1043
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1042
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1041
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1040
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1044
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1043
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1042
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1041
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1040
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