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2019年09月11日

新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 669

お知らせ 北海道地震、東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

新しいカウンセリングとして、「こころの傷を持った子供」のカウンセリングを述べます。

福島県から移り住んだ子供たちが、福島出身ゆえに、いじめられたりします。
地震や原子力事故により、こころの傷を負った子供たちです。
その子たちが、いじめにあいます。

本来、その子たちは守られるべき子供です。
だが現実は、そうなりません。

いじめている子も、傷の性格は異なりますがこころの傷を負った子供たちだからです。:

いじめの解決は、何重にも難しいのです。

こころの傷を負った子供たちは、正しい困難の解決ができません。
ゆがんだ解決をしがちです。

そんな子供が集まれば、いじめが起きがちです。
守られるべき子供は、逆にいじめられます。

ここに現在の、いじめ問題の難しさがあります。
子供たちの土台が、ゆがんでしまったのです。

こころの土台が、ゆがんでいます。
それにより子供社会の土台もゆがんでしまったのです。

このような子供社会のゆがみも、現実にあります。
しかしながら、すべての子供がゆがんでいる訳でもありません。

風が吹いても、すべての木が倒れることはありません。
倒れない木もあります。

けっして外側の世界が、全てではありません。
個の側の問題もあります。

カウンセリングでは、子供の個の側の問題を主に直接扱います。
間接的には、子供社会とも関係を持ちます。

こころの傷を持った子供には、辛抱強く接することが必要です。
待つことです。

ゆっくりとそしてどっしり構えることが、大切です。
その姿勢が、こころの傷を持った子供の気持ちを安定させます。

高校野球の監督と同じ姿勢が必要です。
ピンチでも、どっしり構えることが大切です。

監督はピンチの時、どっしり構えなければいけません。
そうしなければ、高校球児は動揺します。

カウンセリングも、同じです。
カウンセラーはどっしり構えなければいけません。

どっしりした構えこそが、安心感を生みます。
全てを支えます。

極端な話、どっしりした構えのみで改善することも多いのです。
家族はどっしりした構えられないからこそ、混乱します。

野球のキャッチャーも、ミットをはどっしり構えなければいけません。
ミットは、少しもブレてはいけません。

yミットが少しでも動けば、ピッチャーは動揺します。
ストライクは投げられません。バッターにその理由は解りません。

家族のカウンセリングでは、多くの場合バッターは親です。
何もわからない親が、無理解な態度を示します。

子供は、その無理解さにいらだちます。
そのいらだちが、トラブルを生みます。

無理解さゆえのトラブルを、一つ一つ解決していきます。
一つ一つの解決ごとに、前に進みます。

親子関係の解決と、子供の成長は並行します。
ここに子供のカウンセリングの、特徴はあります。

その「成長は全てを引き上げます」。
これが子供のカウンセリングのポイントです。

大人のカウンセリングよりも、子供のカウンセリングの方が楽観的な面もあります。
子供には成長という追い風が吹いています。

こころの傷を持った子供のカウンセリングは、この追い風に乗せれば良いのです。
グライダーのように、追い風に乗ることがポイントです。

ただしこの成長という追い風は、それほどさわやかなものではありません。
ときには台風のように、吹き荒れるものです。

その吹き荒れる風を、おだやかなものに変えていきます。
そうやって、追い風として役立てるのです。

こころの傷には、東日本大震災のような自然現象によるものもあります。
または交通事故のような人為的なものもあります。

そのような経験を、個人がスポンジのように吸収していきます。
それが体験化されます。

当然、個人のスポンジのような吸収力にも差があります。
強く吸収するものも、逆もあります。

ただし誰でも、地震により目の前で家族が亡くなればトラウマになります。
平気でいられる人はいません。

多くの場合、時間が解決してくれます。
だがそうなれないトラウマもあります。

正確には、だがそう「なれない」トラウマもあります。
「ならない」のではなく、「なれない」トラウマです。

それは死、特に家族の死です。
最近ではペットの死で、立ち直れない人も多いです。

次にモデルで述べます。
それは4人家族で、夫の死によるものです。

子供が二人、男の子と女の子です。
奥さんは40歳ぐらいの人です。

ご主人の交通事故による死です。
それも目の前で起きたものです。

ゴールデンウィークに家族で、地方の行楽地に車で出かけました。
その時起きました。

高速道路で、車が動かなくなりました。
その時、悲劇は起きます。

不用意に車の外に出た、ご主人は交通事故にあいます。
それも家族の目の前です。

その時のショックは耐え難いものです。
大きなトラウマになりました。

そのことに男の子も女の子も、奥さんも耐えられません。
生活の重しになっています。

この交通事故のトラウマを、家族全員で共有しています。
このようなケースでは、母親に対する働きかけが必要です。

母親を通して、子供のカウンセリングも行われました。
家族療法のようなスタイルです。

子供のカウンセリングは、親を通して行われることも多いのです。
特にこのケースのように、親子ともに傷ついている場合は多いのです。

親子ともに傷ついている場合は、子供のカウンセリングは親を通して行われます。
そのカウンセリングのプロセスを述べます。

先ずカウンセラーが、語りかけます。
これが短期のカウンセルングの特徴です。

正確には語りかけというよりは、質問をします。
そうでなければ、短期間でカウンセルングは終了しません。

この人にも、このように質問しました。
新しいカウンセリングでは、質問はだいたい決まっています。

最初にする質問は多くの場合、次のものです。
「カウンセリングがあなたと子供のために意味のあるものであるにはどのように進み、あなた達がどうなれば良いですか?」

新しいカウンセリングでは、最初に解決とその道筋のイメージを問うのです。
これも新しいカウンセリングの特徴です。

一番最初の面接で、解決までの姿を描いておきます。
これが新しいカウンセリングです。

ところが何事も、筋書きとおりには進みません。
イレギラーします。

この人もイレギラーしました。こう答えました。
「それを教えてください」

さらに、こう続けました。
「そのために来ました」

カウンセリングに初めて来た人は、こう答えることも多いのです。
英語や数学を教えてもらうような感覚で、来室します。

カウンセリングに、それは織り込まれています。
そこで一歩下がりました。

そしてこう告げました。
「そのために、先ずあなたの話をじっくり伺いましょう」

カウンセラーはここで柔軟に対応しました。
新しいカウンセリングの設計図よりも、母親との信頼関係の構築に向かいました。

設計図通りいかなければダメ、ということはありません。
ハンドルを柔軟に切れば良いのです。

さらには話をじっくり聴きながら、同時に新しいカウンセリングもその間に取り入れます。
そのために、「あなたの話をじっくり伺うことにより、この時間がどのように役立てられますか?」と尋ねました。

常に常に、前向きな質問をします。
それによりその人の前向きな姿勢を引き出します。

それに対しこう答えました。
「自分の気持ちを、先ずさらけ出し解放したいんです」

カウンセリングを受ける多くの人は、自分の気持ちが心の中にたまっています。
それが子供に向かいがちです。

その心の中にたまった気持ちを解放します。
その時、子供に不満は向かいません。

親の不満や不安が、子供に向かうことは多いのです。
それにより子供は苦しみます。

「自分の気持ちを、さらけ出し解放する」ことができれば、親の不満や不安が子供に向かうことはありません。
子供も苦しみません。

子供の苦しみは、親の不満や不安が子供に向かった結果であることが多いのです。
あと学校の先生や他の大人たちの不満や不安が、子供に向かった結果であることも多いのです。

これは、子供にとって理不尽です。
筋の通らないことです。

誰でも筋の通らない不満や不安が、自分に向かったら困ります。
子供はその筋の通らない不満や不安に、対処すべきことを知りません。

筋の通らない不満や不安に巻き込まれがちです。
その結果、ますます親の筋の通らない不満や不安は強まります。

この悪循環をストップする必要があります。
そのために、困難と先ず距離を取ります。

そのためにカウンセリングでは、相手の話を聴きます。
ひたすら聴きます。

聴くのであって、聞くわけではありません。
身を入れて受け取ります。

充分に受け取ります。
そのとき前向きさは生まれます。

誰でも自分が充分に受けいられた時、前向きになります。
その姿勢を作り、維持することです。

難しいのは姿勢を維持することです。
多くの場合、途中で折れてしまいます。

それはカウンセラーのミスもあります。
相談に来る人は、カウンセラーの発言に希望を持っています。

ところが100パーセント、沿うことは不可能です。
ずれは必ずあります。

その時に、カウンセリングはストップしがちです。
場合によっては、破壊的方向に進みます。

よってミスに気をつけましょう。
何事も、ミスに注意です。

それでも、ミスは起きます。
その時は、ミスを認めるべきです。

そこから新しい関係は生まれます。
新しいスタートは切られます。

日本の先生は、ミスを認めたがりません。
それゆえに日本でミスを認めることは、大切です。

この先生は、ミスを認めた。
ここから新しいスタートは切られます。

カウンセリングは、カウンセラーもぎりぎりに追い込まれます。
そこで行うものです。

ミスを認めることも、その一つです。
とにかくカウンセラーは聴きました。

話を充分に聴き、こう伝えました。
「あなたが、いまの困難から立ち直りたいという気持ちが伝わってきました」

このように受け止め、伝えました。
それだけでも、気持ちは楽になります。

もう一つ言えば、全体をプラスにとらえています。
その姿勢が、現れています。

この姿勢はカウンセリング全体を貫きます。
貫いていくものです。

極端に言えば、このプラスの姿勢が困難を克服もします。
カウンセリングの決定的なものは、見えないところにあります。

具体化できない、カウンセラーとの人間関係に本質はあります。
これがカウンセリングの特徴です。

カウンセラーの「あなたが、いまの困難から立ち直りたいという気持ちが伝わってきました」という言葉は、決定的でした。
解決への姿勢が明るい顔とともに、現れてきました。

このようにプラスに対応すると、プラスの言葉も出てきます。
それは二人の子供、男の子と女の子のことです。

この母親は、こう語りました。
「このごろ子供の気持ちも、安定化してきました。」

それに対し、カウンセラーはこう語りました。
「良かったですね」

このように、プラスの姿勢を持ち続けることが大切です。
その時、前向きなものが全てを動かしだします。

この母親は、こう語りだします。
「このごろ、子供もよく眠れるようですし」

このように、プラスの発言も出てきます。
カウンセラーは、それを深めます。

その深めるための、質問をします。
新しいカウンセリングは、質問により進み深まります。

「よく眠れるようになり、生活は変わりました?」
こう質問しました。

それに対し、「えぇ~」と答えました。
少し間があきました。

この間を大切にできれば良いのです。
それは、母親のペースを尊重することです。

ペースを尊重するとき、真理は現れます。
この人は「子供といる時間が増えました」と語ります。

以前は食事も、別々に食べていました。
でも今は、一緒に食べることが多いのです。

そうすると、会話も増えます。
好循環が始まりました。

この好循環を活かしていければ良いのです。
そのための質問をします。

「一緒に食べることが多いのですね?」
こんな質問で、前に進めます。

食事の変化に注目し、前に進めていきます。
食事は人間の基本的な行為だからです。

食事の持つ特殊性です。
それを活かしていきます。

そのために、次の質問をしました。
「一緒に食べながら、どんな話をします?」

「子供の興味のあるアニメ、遊びです」
この母親は、楽しそうにこう答えました。

この前向きな姿勢を失わらせることなく、前に歩めば良いのです。
ただし当然、ブレーキはあります。

この場合のブレーキは、家族の心の中にあります。
特に母親の心の中にあります。

ただし新しいカウンセリングでは、直接それに触れません。
それよりも前に進めます。

前に進めるための質問をします。
常に前に進めるのが、新しいカウンセリングです。

そのための質問は、次のものです。
「いまの良い状態が続くにはどうすればいいですか?」

このように前に前に、課題を探します。
進むべき道をクリエイトします。

それに対し、こう答えが返ってきました。
「食事以外にも、一緒に何かすれば良いかもしれない」
 
新しいカウンセリングでは、今うまくいっていることを広めます。
うまくいっていることの面積を広げていきます。

このように前に前に、新しいカウンセリングは進みます。
常に前向きです。

そこで、こう質問しました。
「食事以外に、何かあります?」

「そう、子供の好きな料理を一緒に作る」
母親は、ひかえめにこう答えます。

この前向きな姿勢が大切です。
常に前向きに、保たれねばなりません。

このような「好きな料理を一緒に作る」ということを、実行します。
理想を言えば、このラインが前に伸びれば良いのです。

単純に、そうなりません。
現実にはそうなれません。

やはり心配事がブロックします。
そのブロックを、解くことも必要です。

この母親にも、子供に対する心配がありました。
それは子供も心配している事でした。

その心配事は、「母が死んだら」というものです。
幼い子供は途方にくれます。

父親が亡くなり、母親が続いて亡くなる心配です。
この心配が、漂っています。

お父さんがいなくなったことが、尾を引いています。
そのショックが残像のように、残っています。

前述のように、母子ともに心配です。
それにふれないようにしています。

ふれないでふれないでいて、話題にしません。
それゆえに生活の中に潜んでしまいます。

潜んだものは、出口をさがします。
それが不登校であったり、子供の神経症です。

不登校や子供の神経症は、このようなメカニズムを持っていることが多いのです。
表面的なものの奥に、見えないものが潜んでいます。

母親も不安ですから、子供に安心を求めます。
子供に安心させてほしいのです。

子供に要求します。
だが要求により、安心することはありません。

新しいカウンセリングは、常に前に進みます。
前に進み、困難を解決します。

そのための質問をします。
新しいカウンセリングは、常に質問により進みます。

そのための質問は「あなたは子供のどんな姿に安心しますか?」
原因を追究するよりも、前に進むことを目的とします。

この母親は、質問にこう答えます。
「子供の笑顔に安心します」

子供の笑顔を見ると安心するのです。
ここからさらに、前に進んでいきます。

ここでカウンセラーは、さらに話を深めます。
「笑顔は、安心のサインですね」

さらにカウンセラーは、話を具体化します。
新しいカウンセリングは、具体的に進みます。

そのための質問をしました。
「最近、子供の笑顔に安心したことはありますか?」

こんなより具体的な質問をします。
より具体的であることに、新しいカウンセリングの特徴があります。

この質問により、母親は思い出しました。
「朝、散歩を一緒にしているときに~~~」

ここから、話は始まり。
「どこかで、ニコットしましたね。」

かすかに思い出しました。
あとは思い出すまで、待てばよいのです。

待てるかが、ポイントです。
多くの場合、待てなくて失敗します。

待ってくれる、寄り添ってくれる人がいるだけで良いのです。
カウンセリングは内容と、人間関係で成り立っています。

母親は、思い出しました。
「犬を散歩させている人がいて・・・・・」

少し、思い出したようです。
母親は、いま記憶をたどっています。

その流れに、従うことが大切です。
ともに歩むのです。

そうしているうちに、こう言いました。
「人なつっこい犬でした」

「犬から、私たちに近づいてきました」
ほのぼのとした、雰意気が浮んできます。

カウンセリングの部屋にも、ほのぼのとした雰意気が漂います。
ほのぼのとした雰意気は、とても大切です。

その雰意気を育むように、心がけるべきです。
答えを追い求めるよりも、育むことが大切です。

育むことにより改善します。
答えを見つける事は、改善にそれほどの意味はありません。

カウンセリングの雰意気が、目に見えない力です。
雰意気そのものの力が、大きな役割をはたします。

カウンセラーの暖かさこそが、その人を立ち直らせます。
だが、それは全てではありません。

理論に裏付けられた、暖かさでなければいけません。
むやみな暖かさは、逆効果になります。

押しつけがましさになってはいけません。
それは困難の中にいる人を、苦しめるだけです。

母親の「犬から、私たちに近づいてきました」というほのぼのとした雰意気を引き出せるような、理論に裏付けられた暖かさこそが求められます。次にカウンセラーは、「どんな犬でした?」と尋ねます。

「人なつっこい犬です」
ほのぼのとこう答えました。

カウンセラーは、その答えに微笑みます。
言葉によらない会話です。

カウンセラーは、さらに続けます。
「子供さんは喜びました?」

それに対して、母親は微笑みこう答えます。
「とても喜びました」

カウンセラーは、ここでこう語ります。
「散歩が、子供さんをその犬に導きましたね」

母親は、その答えに微笑みます。
母親の言葉によらない会話です。

このように、信頼を植え付けていきます。
それは他者信頼であり、自己信頼です。

究極的には、自己信頼こそが自分を救います。
そこに至るために、歩みます。

それに心の問題の解決の一部が、カウンセリングです。
けっして全てではありません。

心の問題の解決はカウンセリングだけでは不可能です。
当然、別の要素も入り込みます。

このケースでは、この犬です。
犬に、おおいに助けられます。

カウンセリングは外側の力も、おおいに役立ちます。
その力を大切にすべきです。

カウンセリングの力は、だいたい半分ぐらいです。
学生では先生、社会人では上司の影響も大きいのです。

カウンセリング中に、学校の先生や上司がかわる人もいます。
それにより改善する人も多いのです。

こころの問題も社会環境、状況の影響が大きいのです。
その場の変化により、改善もします。

特に社会人になってから、こころの問題に苦しむ人。
その人は社会環境、状況の影響が大きいのです。

上司に心の閉じた人がいる場合に多いのです。
おだやかな人であることは、先ずありません。

上司がおだやかな人にチェンジしたら、改善する人も多いのです。
現実の問題が、こころの問題に直接影響を与えています。

このケースではこの犬に、おおいに助けられます。
それを前に進めることが大切です。

そのための質問をします。
「その犬に、できるだけ多く会うにはどうすれば良いですか?」

この質問により、希 望を膨らませます。
前に目標設定をしていくのです。

この母親は、こう答えます。
「できるだけ散歩すれば良いのです」

カウンセラーは、さらに希望を膨らませるために語ります。
「すぐできますね!」

母親は、微笑みます。
希望は膨らみます。

新しいカウンセリングの特徴は、「すぐできる小さなことから始める」ことにあります。
これはこころの傷を持った子供だけではなく、全ての人に用いられます。

この家族には、こうアドバイスします。
「できるだけ散歩しましょう」

すぐできる小さなこと、それは散歩です。
大きな目的よりも、小さな目標です。

小さな目標の積み重ねこそが、大きな目的への道です。
先ず小さな目標を見つける事が大切です。

小さなことを積み重ねていく。
気付いた時には、大きなものになっています。

小さなことを積み重ねていくプロセスに意味と価値があります。
そのプロセスは全体の雰意気を変えていきます。

全体として、前向きなものが育まれれば良いのです。
それは現実生活に、前向きな目的を生みます。

そこでカウンセラーは、現実生活に目を向ける質問をします。
「散歩をすれば散歩だけではなく、何か変わりますか?」

母親は少し考え、こう答えます。
「家に帰ってからも、明るい気持ちでいられます」

さらにカウンセラーは、質問を深めます。
「その時、何か変わりますか?」

母親はこう答えます。
「明るくみんなで食事できます」

ご飯をみんなで食べることは大切です。
「同じ釜の飯を食う」という言葉があるぐらい大切です。

いまの多くの子供の問題は、「同じ釜の飯を『食わない』」ことにあるという人もいます。
ご飯を家族みんなで食べないのです。

ご飯を家族みんなで食べることは、すべての基本です。
ご飯を家族みんなで食べない子は、集団生活に適応力できません。

学校給食でも、家庭での食事が基礎です。
その家庭での食事は揺らいでいます。

ファーストフードやファミリーレストランに頼りがちです。
学者によっては、「いまの家族はホームレスの人と同じ」だと言います。

このようなことを言うのはどうかと思いますが、
「いまの家族はファミレスの食事を、ホームレスは残り物を食べにくる。どちらも食事をする家はない」と言います。

ファミレスのメニューにある食事か、その残り物を食べるかの違いです。
どちらも家族の食事はないのです。

家族団らんの場がありません。
アットホームな気持ちのゆるせる場がありません。

心の底は、不安定です。
グラグラしています。

この不安定さが、いじめや不登校の大きな原因です。
このグラグラを安定させる必要があります。

この母親の「明るくみんなで食事できます」という言葉は、とても意味のある言葉です。
それを行えばベストです。

このように新しいカウンセリングは、現実を大切にします。
そこでこの母親の希望である、親子面接にもふれました。

さらに質問により、カウンセリングは進められます。
繰り返しますが、質問によりカウンセリングが進められるのが新しいカウンセリングの特徴です。

もう一つの特徴は、とにかく前に前にと解決を考えます。
そこで、このような質問をします。

「お母さんのご希望である、親子面接に子供さんと来室されたら子供さんにどんな変化がありますか?」
「どのように毎日の生活は変わりますか?」

母親は、こう答えます。
「知らないところで、戸惑いますし~~~」

子供が全然知らないカウンセリングルームに来て、戸惑うのです。
それを心配しています。

その母親の姿に、新しい光を当てます。
そのための言葉が必要です。

「良いお母さんですね」
このいたわりの言葉が必要です。

いたわりの言葉は、全てを前に進めます。
豊な足どりで進めます。

この言葉は、母親に愛と勇気を与えます。
それは愛に支えられた勇気です。

次に「子供と一緒に来たいと思います」とはっきりと言葉がかえってきます。
言葉だけではなく、その人の愛と勇気もかえってきました。

ただし子供とのカウンセリングをスムーズに進めるには、工夫も必要です。
「はい、来てください」では不充分です。

母親を通した希望が必要です。
そのための質問をします。

カウンセラーは、こう質問します。
「一緒に来室したら、どのように子供さんは良くなります?」

この質問だけでも、前向きなものが含まれています。
それだけでも大きな意味があります。

常に前向きな姿勢、言葉だけでも大きな意味があります。
前向きな風をその人に送り、贈るからです。

それに対して、こう答えます。
「小さい子ですからね~~~」

母親は、心配もあります。
その心配も、前向きにとらえます。

そのためにカウンセラーは、こう答えます。
「子供を第一に考える、良いお母さんですね」

はげまし、元気づけます。
母親の表情は変わってきました。

顔から、深刻さが消えていきます。
それとともに、笑顔が現れてきました。

この母親は、こう語りました。
「『案ずるよりも生むがやすし』ですね」

ピッタリする言葉が、いま見つかりました。
ことわざはカウンセリングで不思議な力をはっきします。

ことわざは理屈を超えて、心に響きます。
実感が生まれます。

この『案ずるよりも生むがやすし』という言葉は、勇気を与えました。
母親だけではなく、カウンセラーにも勇気を与えました。

新しいカウンセリングは、勇気を与えるものです。
勇気をクリエイトするものです。

その波に乗っていくことが大切です。
波乗りします。

もう一つ大切なことがあります。
それは子供との関係の質が良くなることです。

暖かい親子関係が築けます。
これは大切です。

暖かい親子関係が築けた時、全て改善とも言えます。
そのために暖かいカウンセリングはあります。

そこから小さな一歩を積み重ねることが大切です。
暖かく着実な小さな一歩を積み重ねることです。

カウンセラーはその小さな一歩をともに歩みます。
それが最初の一歩だけであることも、それよりも多いこともあります。

新しいカウンセリングは、できるだけ最初の一歩だけを心がけます。
短期間での解決を心がけます。

それが新しいカウンセリングの特徴です。
そのための工夫がほどこされています。

質問形式ですすめるのも、新しいカウンセリングの工夫です。
さらに新しいカウンセリングは一歩一歩を、一つの区切りとするのもその工夫です。

短期のカウンセリングと言いますが、より正確には異なります。
より正確には短期のカウンセリングとは、短期目標のカウンセリングです。

小さな短期目標によるカウンセリングです。
この短期目標を一つクリアーするごとのカウンセリングです。
一つだけで、終わる人もいます。

その短期目標を4~5回、ひと月ぐらいとしていることが多いのです。
一つクリアーするのに4~5回、ひと月ぐらいとするカウンセリングです。

このような短期目標を一単位とします。
それを進めるカウンセリングです。

短期目標の一単位だけで終わればベストです。
それを目指しますが、数単位かかることも多いのです。

節目ごとに、前に進みます。
もちろん、進まなくてもいいのです。

節目ごとに、課題は解決します。
そこからは、再スタートです。

短期目標の一単位だけで終わっても良いと思います。
残った課題は自分で解決するべきかもしれません。

何でもカウンセリングで解決しようとすることも、歪んだ思い込みです。
こころの傷を持った子供の親に、この傾向が頻繁に見られます。

そういう親は、子供をカウンセラーに見ていてもらいたい。
そうやって自分が援助されたい。

やはりカウンセラーから、親へのバトンパスは必要です。
ただしそのタイミングを見定めることも大切です。

ここまでくると親がカウンセリングを受けているようなものです。
子供よりも、親を安定化させなければいけません。

一定に親がカウンセリングを受け、安定化しなければいけません。
その次がバトンパスです。

先ず親がカウンセリングを受け、一定以上に安定化することが第一。
次がカウンセラーから親へのバトンパスです。

バトンパスには、バトンゾーンがあります。
陸上競技の400メーターリレーのバトンパスと同じです。

バトンゾーンでバトンパスする事です。
ただしこのバトンゾーンは、人それぞれです。

バトンゾーンのとても長い人もいます。
どちらかというと、長い人が多いのです。

さらにバトンパスそのものの困難さもあります。
バトンを落とす事もあります。

落とさないように慎重に、正確にバトンパスします。
これが最も大切です。

そのためには、バトンゾーンでスピードをおとす必要のある人もいます。
極端に言えば、立ち止まる人もいます。

さらには後ろに下がる人もいます。
どちらも必要です。

ものごとは一直線に、前に進むものではありません。
後ろに下がりながら、前に進むこともあります。

この「後ろに下がることにより、前に進む」ことが大切です。
私たちが最も見失っていることです。

誰しも、前に前にと考えます。
それが気持ちにゆとりを失わらせます。

ゆとりがないから、いま困っています。
その人に、急がせることは逆効果です。

外側の世界に急かされます。
急かされ自分を見失います。

外側の世界に追いかけられます。
そのために自分を見失います。

追いかけられた人は、ハイパーに動きます。
自己破壊的に動きます。

これに気付く事。
だがそれだけでは、改善しません。

気付きは、半分の解決です。
本当の解決は、ここから始まります。

その本当の解決は、「ゆっくり主義」です。
ゆっくりゆっくり歩むことです。

童話『モモ』にも「ゆっくり主義」が語られています。
小さな女の子モモは、忙しい人の国に迷い込みます。

その忙しい人の国は、不思議な国です。
もっともゆっくり歩む人が、気付いたときに先頭を歩んでいます。

これは作者エンデの現代社会への、メッセージです。
私達の姿を、エンデはこう伝えています。

こころの傷を持った子供とその親に、童話『モモ』を読んでもらいたいです。
いまの困難を抜け出すヒントを見つけるでしょう。

カウンセリングは、読書も一つの方法です。
本から学ぶのです。

読書療法という新しいカウンセリングもあります。
子供は知識欲旺盛ですから、とても有効です。

これは本を読んで、困った事の改善をすすめるものです。
読書はこころの栄養です。

カウンセリングよりも、読書のほうが子供に意味のあることは多いのです。
けっしてカウンセリングがすべてではありません。

同様に日常の生活も、カウンセリングよりも子供に意味のあることは多いのです。
学校の先生や近所の人の与える意味も大きいのです。

ただし、次のことも言えます。
日常の生活の意味のあることも、カウンセリングが入らなければつかみ損ねることも多いのです。

本当は子供にとって、意味のあることは起きています。
だが親がそれをつかめないのです。

場合によっては、その芽を摘んでしまいます。
これはとても愚かです。

特に困難な状況にある親は、不安定です。
その不安定さが、子供の芽を摘んでしまいがちです。

童話『モモ』の忙しい人の国に迷い込んだ人のようです。
「ゆっくり主義」は語られません。

その「ゆっくり主義」を語る人が必要です。
それがカウンセラーです。

誰か外から、語る人がいなければ気付きません。
溺れている人は、特にそうです。

子供の溺れる姿を見る親がいます。
その親は、もっと溺れます。

溺れた子をたすけることもできません。
それだけではなく、自分も溺れます。

そうやって親子で溺れます。
最後には浮き上がれなくなります。

そうなるよりは、「ゆっくり主義」。
これこそが必要です。

この母親も、「ゆっくり主義」の必要に気付きます。
次はさらに具体的な解決策を深めます。

そのために質問します。
「亡くなった父親と、一緒にして楽しかったこと」を質問します。

カウンセラーは、「お父さんと、一緒にして楽しかったことは何?」と子供に質問します。
多くの場合、子供は考え込みます。

その考え込む事こそが大切です。
そこに成長と発達の芽はあります。

学校の勉強でも、考えさせることは大切です。
考えさせることのなかに、成長と発達の芽はあります。

その成長と発達の芽を、育むことです。
この事は教育とカウンセリングの一致点です。

だがどうしても学校でも家庭でも、教える事が先行しがちです。
考えさせることは、はるかに後ろになります。

それを補うのも、カウンセリングの役割です。
こころの傷を持った子供には、特に必要です。

その補いは、暖かい人間関係によりすすめらます。
この関係は、保たれ続けなければいけません。

モデルのこの母親に、話を戻します。
「『案ずるよりも生むがやすし』ですね」と語り、子供と来室することにしました。

来室だけでも進歩です。
今までは葛藤に苦しんでいただけで、現実に踏み出せないでいたのです。

いまそれを吹っ切ろうとしています。
ただし吹っ切れてはいません。

吹っ切れるためには、行動あるのみです。
来室することです。

行動は、最大の解決です。
やらなければ解りません。

その来室に対して、カウンセラーは敬意を示しました。
子供を尊重しました。

次に質問します。
これは子供でも、同じです。

新しいカウンセリングは子供でも、質問により前に進めていきます。
質問により前に進めるからこそ、短期間でカウンセリングは終了します。

この場合、次のように質問しました。
「お父さんといっしょに何をするのが好きだったの?」

子供は、戸惑いながら考えます。
考えることを大切にします。

カウンセラーも親も、子供の考えることを大切にします。
それだけでカウンセラーも親も、役割を果たしています。

極端に言えば、子供は「自分が大切にされた」という体験だけで改善するものです。
その場面の雰囲気が最も大切です。

それほどカウンセラーや親が「正しい事を言う」のは意味がありません。
場合によっては害になります。

現実には親や学校の先生は、「正しい事を言う」ことが大切です。
それは迷路です。

迷路に入りながら、迷路にいる事にも気付かない迷路です。
それゆえに抜け出し難いのです。

迷路にいる事も気付かない人は、ドアを壊しても抜け出そうとします。
現実に子供のこころのドアは壊されます。

ドアは壊されても、次に進めます。
だがそこも、迷路であることにかわりはありません。

そうやって迷路は深まります。
かつ抜け出せなくなります。

「お父さんといっしょに何をするのが好きだったの?」
極端に言えば、この質問に答えなくても良いのです。

子供によっては、父親を思い出し泣き始める場合もあります。
その時は、見守ります。

それが最も大切です。
質問の答えよりも、泣くことによるこころの浄化が大切です。

質問に答えなくても怒ってはいけません。
決して質問はテストの問題ではありません。

カウンセリングには、テストのような正解はありません。
こころの傷を持った子供はある意味、ない正解に苦しんでいます。

それこそ、ある意味すべて正解です。
自分が主体としてあるのであれば、すべて正解です。

カウンセリングは、こころの傷を持った子供に自分なりの答えが出るようにするサポートです。
この自分なりの答えが大切です。

極端に言えば、自分なりの答えであればなんでも良いのです。
それは正確には答えではなく、応えだからです。

この子は「お父さんといっしょに何をするのが好きだったの?」という問いに、次のように応えました。
「ぜんぶ」

それを聴き、母親もカウンセラーも微笑みます。
次の瞬間、部屋に悲しみが満ちあふれました。

悲しみがただよってきました。
その時、あわてないことが大切です。

あわてると、子供もあわてるからです。
どっしり、構えることが大切です。

その構えだけでも、全てを解決する子供もいます。
だが年少の子や、ダメージの大きな子では不可能です。

そこを見極めます。
見極めによりフライングも、スロースタートもしないことです。

カウンセリングとして、ジャストスタートを心がけるべきです。
フライングは、絶対に避けるべきです。

フライングよりも、スロースタートの方がはるかに良いのです。
フライングはカウンセリングを失敗に導きます。

「急いては事を仕損じる」です。
人を育むという事は、なおさら急いては事を仕損じます。

この子にも、カウンセラーはどっしり構えました。
悲しみを受け止めました。

やがてその受け止められた悲しみは育まれます。
いのちを持ってきます。

ここまでが、カウンセラーの役割かもしれません。
あとは、本人がやる事。

ただし年少者であればあるほど、周りの助言は必要になります。
正しい方向を指し示さなければいけないのです。

それゆえにカウンセラーは、次のように語りました。
「悲しいの~~~」

この子は、うなずきます。
その悲しみの雰意気がただよいます。

うなずきは自己表現。
それを育むことが大切です。

「悲しい」という、うなずきです。
その自己表現を、育むのがカウンセリングと言えます。

小さな声で、こう言いました。
「バトミントン」

この小さな声を育むことが大切です。
育めれば、スムーズに進みます。

子供にもよりますが、多くの場合の改善法はそれをやる事です。
バトミントンをする事です。

そこでカウンセラーは、一緒にバトミントンをしました。
楽しみました。

子供のカウンセリングは、大人のように言葉だけで進みません。
一緒に遊んだりもします。

それゆえに遊戯療法と言われます。
この子もバトミントンをしました。

ただしただ遊ぶのではなく、カウンセリングです。
カウンセラーには、それなりの思いも必要です。

言葉によるカウンセリングを、子供ようにつくり変えたものです。
それゆえに、ただ遊ぶだけでは深さがありません。

周りから見れば、子供と遊んでいるだけです。
そこには深さがあります。

その深さに無意識的に、子供は反応します。
その結果、人格の建設的成長が起きます。

正確には、自(おの)ずから人格の建設的成長が起きます。
さらにより正確には、自(みずか)ら人格の建設的成長が起きます。

人格の建設的成長は自(みずか)ら、であり自(おの)ずから起きます。
どちらとも言えます。

どのカウンセリングも本人の自(みずか)らであり、自(おの)ずからであるものを引き出すものです。
そこには辛抱強さが必要です。

子供と遊んでいるだけに見えますが、そこには深さがあります。
その深さを子供と生きるのです。

その深さが自(みずか)らであり、自(おの)ずからであるものを引き出します。
このプロセスをともに生きます。

成長のプロセスをともに生きる。
これがカウンセリングの本質です。

さらにそのプレイを引き立てるようにもしました。
「ナイス、サーブ」を強調しました。

サーブにより、始まります。
その始まりを強調しました。

ナイスサーブから、全ては始まります。
ただしカウンセリングのナイスサーブは打ちやすく、取りやすいものです。

カウンセラーは打ちやすく取りやすいサーブを心がけます。
打ちやすく、取りやすいものほど良いのです。

成長のプロセスをともに生きるには、戦ってはいけません。
戦わないことが、自分との戦いからの解放をもたらします。

結局、戦って解決すべきではないことに戦っている。
それが真の姿です。

バトミントンで打ちやすく取りやすいサーブをします。
そうやって上達していきます。

勝負として、するバトミントンではありません。
楽しむバトミントンです。

こころの問題を持つ人は、特徴があります。
それは楽しめず、勝負のようになっているという事です。

だから、楽しむ!
楽しむことこそが、大切です。

楽しくバトミントンしました。
満足感がただよいました。

その満足感こそが、いのちです。
その時いのちが満ち溢れています。

その満ち溢れたいのちを、大切にできればよいのです。
周囲も、本人もです。

こんな楽しいバトミントンを家族でもすればよいのです。
カウンセリングを家庭にも、広げればよいのです。

新しいカウンセリングでは、カウンセリングを特別なものと位置付けません。
現実生活との接点を大切にします。

カウンセリングを現実生活にまで広げていきます。
生活に充実感を与えていきます。

これによりこの子も、かわっていきました。
子供のカウンセリングは順調に進んでいます。

順調に進んでいたら、親だけの面接でもかまいません。
親を通して、子供のカウンセリングも行います。

その親だけの面接で、母親はこう語りました。
「毎日の生活が楽になった」

カウンセラーは、深めるための質問をします。
「楽になった。生きやすくなったという意味?」

母親は頷きます。
多くの場合、女性は話を続けます。

女性が話を続けるのは、おしゃべりだから。
それだけではありません。

不安感から話し続けることも多いのです。
それを見極めながら、カウンセリングは進みます。

不安感から話し続けると見極めたら、カウンセリングのハンドルを切ります。
その不安感をとる方向に切ります。

不安感をとるのは、カウンセラーの姿勢です。
どっしりとした姿勢です。

高校野球の監督でも、ピンチの時に動き回ってはいけません。
どっしりとしていなければ、選手は動揺します。

選手は、監督のどっしりさに支えられます。
それを支えとしてプレイします。

どっしりさがピンチを救います。
カウンセラーも同じです。

カウンセラーのどっしりさがピンチを救うのです。
どっしりさは不安も吸収してしまいます。

スポンジのように、どっしりさは不安も吸収してしまいます。
程度の軽い神経症的不安であれば、それだけで改善します。

この母親は、続けてこう語りました。
「重荷が取れました。」

ここから、さらに前にカウンセリングは進みます。
とにかく前進、これが新しいカウンセリングです。

「生きやすくなった?」この言葉に、母親はこう答えます。
「今まで自分で、自分を生きにくくしていたのかもしれません」

非生産的な心配は、行き止まりの心配です。
どこまで行っても、行き止まりです。

この迷路から、抜け出せました。
生きにくさという迷路から、抜け出せました。

この行き止まりを抜け、さらに前に進んでいきます。
この母親は、自分の生きにくさという重荷は取れました。

そこで子供の問題に進みます。
自分の問題を解決して、子供の問題に進みました。

多くの場合、子供の問題は親の問題に重なります。
親が自分の問題を解決しきれないゆえに、子供に問題は現れます。

この母親には、もうその問題の入り込むすきはほぼありません。
ほぼないというのは、次のような意味です。

誰しも、完全に問題を解決することはありません。
ある意味、解決した問題も再浮上しようとしています。

再浮上しようとする問題に、圧倒されなくなります。
巻き込まれなくなります。

さらには子供の問題が解決すれば、なおさら再浮上しません。
現実の改善は、内面も安定化させます。

そのためにも子供の問題解決に進みます。
この母親には、子に対する接し方に疑問がありました。

その疑問は次のものです。
「子供の心にどれぐらい入り込んでいいのか?」

子供との距離です。
正確には、心の距離です。

多くの母親は、子供の心に入り込みすぎます。
入り込みすぎて失敗します。

その失敗は避けなければいけません。
心の中に土足で入り込むことの失敗です。

どんなことがあっても、心の中に土足で入り込んではいけません。
その行為はミスです。

きちんと靴を脱いで家に入らなければいけません。
家も心も入るには、しなければいけない事があります。

どうしても母親は、靴を脱がずに心の中に土足で入り込みます。
その結果、トラブルになります。

産まれた時から、子の面倒を見ている母。
それゆえにのミスです。

子供も発達段階があります。
当然その発達段階に応じて成長します。

ところが産まれた時から子の面倒を見ている母には、これが見えません。
いつまでも赤ちゃんです。

発達段階ごとの対応ができません。
そこから矛盾が生まれます。

それゆえに父親の役割が必要です。
そうでなければ、どこかで発達は止まってしまいます。

靴を脱がずに心の中に土足で入り込み、トラブルになる母親。
それを補うために、父親の役割が必要です。

発達段階に応じた成長をサポートするのが父親です。
そうでなければ、子供は子供のままです。

子供が子供のままでいないためには、父親の存在が必要です。
ただしこの母親のようなケースもあります。

父親が現実にいないことも多いのです。
何らかの理由によるシングルも多いのです。

その時、周りのカバーが必要です。
周りが子供と母親をサポートします。

この人の場合は、カウンセラーが母親をサポートします。
そのサポートが母親を支えます。

「子供の心にどれぐらい入り込んでいいのか?」
この疑問をカウンセラーは母親をサポートします。

もう一つ言えば、子供に任せるという選択もあります。
この選択を、親は忘れがちです。

この選択は、母親には受け入れがたいものです。
だが必要であることが多い選択です。

母親には受け入れがたいものでありながら、必要である選択。
それが選択され、実行されなければいけません。

それに加え、こころの傷を持った子供であることは考慮されなければいけません。
そのためにカウンセリングは必要です

この母親も子供に任せることに、抵抗感は有りました。
その抵抗を弱めながら、カウンセリングは進みます。

現実の心配は、母親自身の外出です。
外出中に、子供が火遊びをするかもしれません。

それが心配です。
父親がいれば、その心配も父親が持ってくれます。

よってカウンセラーが持ちます。
ただし父親とは、持ち方が異なります。

カウンセラーは、母親を支えるというスタイルで持ちます。
自分が直接支えようとはしません。

母親の自己解決力をサポートします。
それがカウンセリングの役割です。

その母親の身につけた自己解決力こそが全てです。
自己解決力と言っても、おだやかなものです。

おだやかな信頼による安心です。
それが真の自己解決力です。

自分の不安に流されないで、子供を信頼する事。
これがその核心です。

カウンセリングでは、その核心を具体的に実現していきます。
具体的でなければ、具体的な効果は少ないのです。

この母親の場合、「自分の外出中に子供が火遊びをするかもしれない」と言う心配が強すぎるのです。
強すぎる心配は、先ず心配している本人の問題と言えます。

カウンセラーは、その心配を受け入れました。
受け入れることが、最も大切です。

心配を受け入れれば、生産的な考えも生まれます。
受け入れずに否定すれば、悪循環に入り込みます。

日常的に行われる説得は、心配を受け入れません。
そのために、否定的な結果になりがちです。

先ず心配を受け入れること。
そこからスタートです。

心配を受け入れたことにより、心配は弱まりました。
冷静な判断が始まりました。

誰しも、冷静に判断できれば心配は小さくなります。
弱まります。

多くの場合、心配を受け入れることよりも意見を言います。
その結果、心配は強まります。

心配に対し意見を言うと、言われた方は拒絶感を受けます。
その結果、心配の迷路は深まります。

ノウと言わないことが大切です。
すべてイエスで良いぐらいです。

とにかく、相手の心配に対し意見は言わない。
心配を理解すること。

心配を理解すること、受容すること。
これこそが前に進めます。

この母親も、自分の心配に気付きます。心配を心配していたのです。
心配しすぎでした。

自分の心配を何とかしてほしかったのです。
それが子供に向かいます。

この母親の心配は、カウンセラーが持ちます。
誰かが心配を持ってくれるだけで、気持ちは楽になります。

そこから心配を心配することは弱まりました。
心配を心配するとは、心配の悪循環です。

よけいな心配は亡くなりました。
そこから現実の解決を進めます。

現実に、母親の外出する必要のある時間をチェックしました。
今までは、その時間を祖母のたすけでカバーしていました。

その時間を、できるだけ祖母に頼らないようにしました。
自分で出かけるようにしました。

子供たちだけで、留守番しました。
誰でも、子供の火遊びによるによる火事が心配です。

この母親の場合は、必要以上に心配でした。
自分の不安定さが、その原因です。

だけど勇気を出して、最初は少し外出しました。
何も起きませんでした。

こうやって、心配する事の無意味さを知っていきます。
そのためのプロセスを歩みます。

そうやって、現実は「心配ご無用」であることを理解していきます。
それに続いて、体験していきます。

理解と体験のサイクル。
これがカウンセリングと言えます。

この理解と体験のサイクルをまっすぐに進めていけば良いのです。
だがイレギュラーすることもあります。

この母親のイレギュラーは子供におきました。
子ども自身に心配事が生まれました。

それは幼くして親を亡くした子に多いものです。
「電車に乗ってキップをなくしたら、食堂で食事後さいふがなかったら」と言うものでした。

幼くして親を亡くした子は、「電車に乗ってキップをなくし」たのと同じ気持ちです。
さらには「食堂で食事後さいふがなかった」状態でもあるのです。

この子が、本当に心配しているのはキップやさいふではありません。
親を失う事です。

心理学の心得があなければ、それは解りません。
その結果、迷路が深まることも多いのです。

知は力なり。
知っていることは、大きな力になります。

本当に心配しているのはキップやさいふではなく、親を失う事。
これを知っていれば、子供に巻き込まれません。

親はその本当の心配に向き合えば良いのです。
親を失う心配に向き合えば良いのです。

現実のカウンセリングは、キップやさいふの心配を扱います。
親を失う事の心配を、キップやさいふの心配を通して改善します。

キップやさいふの心配が弱まれば、親を失う心配も弱まります。
遠回りです。

「急がば回れ」です。
この子は直接、親を失う心配に向かい合えません。

大人のカウンセリングでも、直接心配に向かい合えないことは同じです。
だが子供は、言葉が未発達です。

それゆえに、余計に向かい合えない。
だが言葉によらないカウンセリングは可能です。

それは人形や、おもちゃをつかったカウンセリングです。
遊びを通して、カウンセリングを行います。

子どもは電車が大好きです。
電車遊びを通して、カウンセリングの行われることもあります。

この子も電車遊びを通して、カウンセリングは始まりました。
これは自然に起こりました。

自然発生することが大切です。
自(おの)ずから起きることが大切です。

自(おの)ずから起きることを、たどっていくのがカウンセリングとも言えます。
その流れに身をまかせます。

大人は、心配が先にはたらきます。
そのために、流れに身をまかせられません。

逆に、流れをせき止めてしまいます。
それにより、悪循環から解放されません。

そのせき止められた悪循環により苦しみます。
解放こそが、本当の解決です。

流れに身をまかせれば、自然に改善の方向に向かいます。
不安がその流れを妨げます。

自分と言うもの、自分と言うものの不安がその流れを妨げます。
この子も電車遊びにより、自然にカウンセリングは始まりました。

その電車遊びで、「遊ばせるカウンセラー」がいます。
その一方、「いっしょに遊ぶカウンセラー」もいます。

どちらも遊びにより、カウンセリングは進みます。
これが子どものカウンセリングです。

この子の電車遊びは、最初は電車でトンネルを通るものでした。
トンネルに執着しました。

それは、「~~~と言う理由」があります。
多くの人は、「~~~と言う理由」を大切だと考えます。

多くの人のカウンセリングに対する見方は、カウンセリングは心の中を手品のように見せてくれるもの。
それは間違いではありませんが、それはカウンセリングの全てではありません。

現実に心の中を手品のように見せることは、物知りだとしらせるぐらいの意味しかないことが多いのです。
それが逆に、人格の変化を妨げることの方が多いのです。

知る事と、人格の変化は別のことです。
場合によっては、知る事は人格の変化を妨げます。

多くの学校の先生は、指導をしています。
その指導は、人格の変化とは無関係です。

この子の電車遊びでも、指導をしてはいけません。
遊びきらせなければいけません。

遊びきることこそが解放を生みます。
こころの力みからの解放を生みます。

解放は、解決に向かうエネルギーとなります。
エネルギーがたまってしまう事が、苦しみの原因です。

エネルギーがたまる、言いかえれば我慢です。
我慢は、どこかに出ます。

いわゆる、キレル人は我慢がたまった人です。
我慢がたまり、キレます。

ことの本質は、「しなくていい我慢」に有ります。
我慢が噴火のマグマです。

我慢しなければ、それほど爆発しません。
おうおうに、「しなくていい我慢」はマグマ爆発に至ります。

その我慢を解放する事。
さらに「しなくていい我慢」をしなくなる事。

「しなくていい我慢」をしなくなれば、大きな解放が起きます。
闘う自分はいません。

自分と闘わない。
自分と闘わない自分が、本当の自分です。

自分と闘わないことにより、本当の自分に出会います。
素直な自分になれます。

こどものカウンセリングは、素直な子になれば良いのです。
それがカウンセリングの成功です。

だが素直に直線的になれれば理想的です。
小学生までは、そう直線的に進むことが多いのです。

だが中学生以上になると、カウンセリングは直線的に進まなくなります。
カウンセリングが、曲線的になりがちです。

カウンセリングの内容から、暴走が起きがちです。
素直に、進まないことが起きるのです。

内的なことが、行動として暴走するのです。
この事に関して、年少者のカウンセリングには心配はありません。

年少者は暴走しません。
素直に歩みます。

この子も、暴走の危険はありません。
その点は、安心していられます。

真っすぐにカウンセリングは進みます。
だが現実の生活に、いじめっ子のように困難が入り込むことはあります。

それもカウンセリングの一部と考えます。
カウンセリングを深めるために必要なことと考えます。

いじめっ子にカウンセリングを、邪魔されることはありません。
現実には親の心配が、カウンセリングをストップすることは多いのです。

親の心配は、社会化の前で起きます。
それゆえに、カウンセリングをストップすることは多いのです。

親子関係をの次が、社会的な人間関係です。
強すぎる親の心配は、社会的な関係の足かせになります。

その強すぎる親の心配も、カウンセリングで対応します。
特にこの母親は、夫の死ゆえに心配を抱え込みやすいのです。

その時は、カウンセラーも心配を持ちます。
一緒に持ちます。

心配を一緒に持つ人がいます。
それが心配を弱めます。

ともに持つ人、ともに歩む人。
それこそが、必要な人です。

極端な話、それだけでいいのです。
心配を一緒に持つ人がいるだけでいいのです。

心配を一緒に持つ人がいてくれれば、あとは自分で内面化できます。
自分で内面化する前までが、カウンセラーの役割です。

それをより具体化する内面的なプロセスも必要です。
そのために人形劇も用いました。

その人形劇は、次のようなものです。
家の中に猫がいます。

この猫は、いつも押し入れや机の下にいます。
見えない所に隠れているのでしょう。

その猫を、何とかしようとしました。
どう、しようとしたのでしょう?

この子は、家の真ん中で猫が寝ているように劇をすすめました。
猫のぬいぐるみに、「家の真ん中で寝ましょう」と語りかけます。

そうやって猫を抱っこしました。
そのとき猫は、「にゃ~」となきました。

元気のいい猫です。
それとともに、この子も元気になりました。

この猫を通して、自分を確立していく。
そのようなストーリが続きます。

やがて猫は、「にゃ~」となきました。
元気な声でなきました。

この猫の「にゃ~」という元気な声。
これによりカウンセリングは、前にハンドルを切ります。

猫が「にゃ~」と元気なだけではありません。
この子も元気です。

より正確には猫が「にゃ~」と元気になくごとに、この子も元気になっていきます。
猫は、この子の内面を外に出したものと言えます。

内面を外に出した猫が「にゃ~」と元気になくごとに、この子も元気になっていきます。
それが子どものカウンセリングです。

この猫は、やがて部屋の真ん中に置かれるようになります。
そんなプロセスが進みます。

猫が、部屋の真ん中に置かれるようになることは大きな前進です。
この子の内面を外に出したものが猫であれば、なおさらです。

どまん中にいることは、大きな負担です。
大人のパニック障害でも、広場恐怖症と言って広い所の端っこにしかいられない人もいます。

この子は、広場恐怖症ではありません。
だが広い所の端っこにしかいられない気持ちだったのでしょう。

その気持ち。
寒さに、こごえた手のようでした。

こごえた手を暖めます。
そうやって自由に動かせるようにします。

こごえた心を、カウンセリングで暖めました。
それにより、心の自由を取り戻します。

カウンセラーは、そのプロセスを見守ります。
攻撃性が現れない限り、プロセスを見守ります。

子どものカウンセリングでの注意点は、攻撃性です。
子ども、特に男の子は攻撃性が現れやすいのです。

人形劇の中であっても、必要以上の攻撃性はストップさせる必要はあります。
猫をつかった人形劇でも、まれにそうなりやすいのです。

例えば男の子は、猫をけんかさせようとします。
この猫のけんかも必要です。

だが程度問題です。
土俵の外で相撲をとることは✖です。

カウンセリングは、カウンセリングの部屋の中で完了するのが理想です。
何事も、理想に沿って進むべきです。

この子の場合も、カウンセリングの部屋の中で完了すべきです。
カウンセリングは理想と原則を踏み越えることにより、成功することも多いのです。

カウンセリングには、カウンセリングの特殊性があります。
それがカウンセリングの理想と原則の踏み越えです。

特にカウンセリングの原則の踏み越えです。
原則の踏み越えこそが、カウンセリングの成功に導くとも言われます。

カウンセラーが、カウンセリングの原則を踏み越えるには何かが必要です。
その何かが、カウンセリングを成功に導きます。

何事も原則を踏み越えさせるものは、勇気と信頼です。
勇気と信頼こそが、カウンセリングを成功に導きます。

私たちは「アイロニカルな没入」をしていることが多いのです。
「アイロニカルな没入」とは、次のことです。⇓

意識的には、ある程度の距離を取っています。
だが行動において、それに没入している状態です。

これを続けてもダメだ。
だけどいまは都合がいい。

だから続ける関係。
これは夫婦関係にとても多いのです。

こんな夫婦関係の改善のカウンセリングもあります。
話を元に戻します。

この子の内面では猫は部屋の真ん中にいませんでした。
すみっこにいました。

その内面を変えるのがカウンセリングです。
猫と部屋は、そのシンボルと言えます。

猫は自分、部屋は家族といえます。
こんな構造です。

猫が部屋の真ん中に置かれていくことは、意味深いのです。
そのプロセスを、子供のこころはたどります。

この子は、猫は部屋の真ん中に置かれていくことはありませんでした。
犬が出てきました。

犬が、猫のじゃまをします。
直線的に、物語は進みません。

直線的に進む物語であれば、カウンセリングは必要ありません。
進まないからこそ、必要です。

犬が、猫のじゃまをする物語。
ココから話は進みません。

だから、カウンセラーは必要なのです。
ストップした話を、後押しするのがカウンセラーです。

ただし後押しと言いますが、普通の意味で言う後押しではありません。
サポートの方が的確な言葉です。

指示はしません。
寄り添っていきます。

寄り添う事により、扉を開きます。
どんなふうに開くかは、カウンセラーにもわかりません。

子どもに寄り添う事が大切です。
その時、扉は開きます。

どのように、その扉が開くかはわかりません。
ぱっと開くこともあれば、逆もあります。

だがどちらの場合も、子どもが開けます。
子どもが、自分で扉を開けます。

自分で扉を開けやすくする。
それがカウンセリングです。

寄り添う者。
これがカウンセラーです。

いま犬が、猫のじゃまをする物語、ココから話は進みません。
それがこの子の現実の生活でもあるのです。

ただしこの子の現実の生活では、寄り添う者がいません。
ここにはカウンセラーがいます。

カウンセラーが寄り添う。
寄り添う者になります。

寄り添う者は、励ます者。
そう子供のこころの中に映ります。

この子も、そうこころの中に映りました。
心の中で、猫は犬と闘います。

現実にけんかをさせます。
それも必要なプロセス。

それが心の中だけで、収めるようにする。
それがカウンセラーの力量です。

心の中だけで収められなくても、カウンセリングの中だけでの話にする必要があります。
家庭や学校で、攻撃性が出ないようにすることは大切です。

現実には、家庭で兄弟をいじめたりしがちです。
いままで抑えていたものが、外に出るのです。

それに対し、親がどのように対応するかも大切です。
多くの場合、対応を教わろうとします。

親は、「どうしたらいいですか?」と尋ねがちです。
最初のうちはそれに応えることに、意味もあります。

だがそれも程度問題です。
子どもは、親のその姿勢に憤ります。

他者に答えを求める姿勢に憤ります。
この憤りこそが、本当の問題を含んでいます。

子どもは、親に真正面から向き合ってほしいのです。
ところが親は、他者に答えを求める。

他者に答えを求めるその姿勢に、子供は反応します。
それこそがミスです。

他者に答えを求めないこと。
親が向き合う姿勢。

子どもは真っ正面から、向き合ってほしい。
本当の問と、応えはここにあります。

大切なことは応えだという事です。
けっして答えは求めていません。

真っ正面から向き合う、本当の応えはここにあります。
この応えがポイントです。

子どもは正解は求めていないのです。
そもそも親子関係に正解は有りません。

子どもは親に、真っ正面から向き合ってほしい。
これがほんとうの応えです。

カウンセリングでは、そう親にアドバイスします。
そう親に生きてもらいます。

ただし「言えばできる」というものではありません。
多くの場合に「言ってもできません」ね。

そのためにカウンセリングはあります。
こころのメカニズムに沿えば、良いのです。

親の生き方をかえます。
これが最大の課題です。

子どもの問題で、子どもだけで改善することはまずありません。
親の問題でもあることが多いのです。

親と子が、ともにかわる。
その歩みがカウンセリングです。

二人三脚です。
そこに難しさがあります。

家族面接を行います。
家族と面接します。

その家族面接にも、いろいろなスタイルがあります。
この場合は、補助的な家族面接でした。

それにより攻撃性が出ることなく、次に進みました。
次は恐竜の劇になりました。

ここで注意しなければいけない事があります。
それ怪獣ではなく、恐竜だという事です。

怪獣は空想のもの。
恐竜は本当にいました。

はるか昔にいました。
今はいません。

この子も、昔のことに苦しんでいます。
いま、その出来事はありません。

記憶に苦しんでいます。
あるのは悲しい記憶です。

いまは直接苦しむことは何もありません。
足を踏まれていない人が、痛がっているようです。

子どもも大人も神経症的な苦しみは、今にありません。
将来への予測にあります。

それからの脱出。
そのためのカウンセリングです。

将来を考え、心配します。
正確には、心配しすぎます。

その心配しすぎだけが問題点です。
他に何もありません。

ある意味、脱出の必要もありません。
それを森田療法は解きます。

「あるがまま」
現実を受け入れなさい。

もっとも「こうしなさい」、「はい、そうします」
このようになれないのが人間というものです。

そのための方法も用意されています。
順天堂大学の懸田教授も、この点を高く評価していました。

森田療法は説得ではない。
ここが評価されるべき点です。

恐竜ははるか昔にいました。今はいません。
だがこの子は、ははるか昔にいたものに苦しんでいます。

空想です。
予測により不安になっています。

その恐竜の劇は、お相撲のように始まりました。
土俵もあり、行司さんもいます。

ルールがあります。
社会化されています。

社会化されルールのあるもの。
そこに破壊的なものはありません。

その保護された空間に力は有ります。
力はクリエイトされます。

本当の力。
困難から立ち直る力はあります。

この子も、お相撲の中で立ち直ります。
テレビの相撲中継もよく見ました。

カウンセリングでお相撲の話も始まります。
社会化の扉も開きました。

好きな力士も話題になります。
中高生になると、女子はタレントの話題に進むことが多いのです。

男の子はアイドルです。
小さな子はそこまでいかずに恐竜やお相撲さんです。

女子はタレントを通して、女らしくなる。
男子はアイドルを通して、男らしくなる。

小さな子は恐竜やお相撲さんです。
それぞれの年齢で、必要なイメージは有ります。

この恐竜の物語は、さらに進みます。
森で散歩をしていると、けがをした犬に出会います。

その犬を、この子は助けます。
そこから先が大切でした。

犬を、助けます。
だが恐竜は出てきません。

いつもおびやかされている、恐竜は出てきません。
怖いものは出てきません。

これはとても大切です。
大きな意味があります。

この子は父の死により、おびやかされ続けました。
それと恐竜はある意味、重なっています。

両者はおびやかすものです。
だが恐竜は出てきませんでした。

このように劇の中で、おびやかすものが出てこなければokです。
現実にもおびやかすものは出てきません。

正確に言えば、この子の心の中には恐竜のようなものがいました。
それにおびやかされ続けていたのです。

今おびやかされなくなりました。
それだけでは不充分です。

それを現実生活に定着させる必要があります。
その方法を述べます。

現実生活に定着させるには、「不安が起きたときメモすること」が効果的です。
この子の場合は、次のようになります。

夏休みに家にいます。
ガスコンロから「ガス漏れしていたら」と心配です。

このようにメモします。
次に浮かぶ考えを書いていけば良いのです。

具体的には
ガスコンロから「ガス漏れしていたら」と心配 ⇒

続けて ⇒ に続けて、自分なりの考えを書きます。

例えば
ガスコンロから「ガス漏れしていたら」と心配 ⇒ 何とかなるだろう

このように書きすすめます。
この事を翻って考えてみます。

今まで、この子は恐竜に苦しめられていました。
常に不安に苦しめられていました。

このことは、下↓のように表せます。

恐竜=ガス漏れ

恐竜におびやかされていた時は、おそらくこう⇓でした。

ガスコンロから「ガス漏れしていたら」と心配 ⇒ 火事になる

この子は、いつも恐竜におびやかされていたのです。
それがガス漏れの心配の姿です。

恐竜は不安の姿そのものです。
それがいろいろに現れました。

恐竜は不安のシンボル。
シンボルが、心の中から消えました。

それとほぼ同時に、現実の不安も消えました。
そうやって改善は起きます。

こころの中にある不安。
それは解消されました。

こころの問題は解決とは言い難いのです。
解消の方が適切な言葉と言えます。

さらに述べます。 



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