2020年07月07日
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 839
お知らせ 2019年台風19号、北海道地震、東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。
新しいカウンセリングとして、「こころの傷を持った子供」のカウンセリングを述べます。
今日から不登校の子供の改善を述べます。
不登校の子供に、いろいろな意見があります。不登校は一括りできません。
性格の異なる、多くの原因とその解決法があります。
例えば「登校を強いるべきか」という問題もあります。
これもケースバイケースです。
ある場合には必要であり、ある場合には害になります。
同じ顔の子供もいないように、同じスタイルの不登校もありません。
不登校が、学校恐怖によるものである時はカウンセリングは有効です。
その不登校は、こころの傷によるものだからです。
不登校は「学校の問題か、家庭の問題か」という事も良く言われます。
これもケースバイケースです。
ただし後者の、家庭の問題であるときは家族カウンセリングという方法もあります。
その家族カウンセリングを行います。
学校の問題であるときは、社会的なアプローチの必要があります。
そのときは学校との連絡が、より必要です。
場合によっては、フリースクールも利用されるべきです。
社会的資源の利用が必要になります。
現在では国もフリースクールの意義と価値を認めています。
不登校の性格によっては、改善の足掛かりとなるものです。
以前は転校が考えられました。
だが転校は、今では後ろ向きなものと捉えられています。
多くの場合、転校しても同じです。
同じことの繰り返しです。
同じパターンを繰り返します。
それよりもフリースクールは意義と価値があります。
それなりの対応はします。
そのようにカリキュラムも組まれています。
だが極端な問題が学校にあれば、別です。
極端ないじめや体罰がある場合です。
その場合は、現実の改善が必要です。
現実が悪すぎる時は、現実をかえることです。
そのための転校です。
だが転校は、改善にならないことが多いのです。
転校した学校でも、同じようなことは起きがちです。
学校の本質は変わっていないのです。
その意味でフリースクールは意義と価値があります。
今までの学校とは、対応が異なります。
本質が変わらなければ、意味はありません。
変わるからこそ、意味はあります。
そこで新しい自分を発見できます。
さらには新しい自分をクリエイトできます。
そのような意味があります。
それでもカウンセリングを行った方が、効果はあります。
カウンセリングによる解決を述べていきます。
正確には新しいカウンセリングによる解決を述べていきます。
新しいカウンセリングは、小さな一歩のカウンセリングです。
それは大人も、子供も同じです。
その小さな一歩は容易な一歩です。
すぐできる一歩です。
その小さな一歩の積み重ねこそが、解決に向かいます。
ある意味、急がば回れです。
次に新しいカウンセリングによる不登校の解決をモデルにより述べます。
この子は小学3年生の男の子です。
多くの場合、不登校になると学校の先生から連絡があります。
登校せず、寄り道していることが多いからです。
そこから、葛藤は表面化します。
それは家族は扱えかねぬものです。
先ず直面する問題は、先生も親もどうすれば良いかわからないという事です。
先ず「登校を強いるべきか」で困ります。
それに対する答えは、ありません。
正確には、「マニュアルはない」のです。
それよりも、すぐそばに道はあります。
それが前に解決を見いだすカウンセリングです。
小学3年生の男の子は、カウンセリングルームに母親から電話がありました。
とても困ったようです。
不登校のため学校の先生から連絡があったのです。
これまでも数日の不登校はありました。
だが今度の不登校は長いのです。
親は心配です。
この男の子は、カウンセリングルームに来ることも困難です。
このようなケースは多いのです。
その場合は、先ず親が来室します。
親とカウンセリングを行います。
場合によっては、親とのカウンセリングだけの場合もあります。
それだけで登校することもあります。
親とのカウンセリングで、子に対する対応をかえます。
それだけで改善することも多いのです。
だがこのケースでは、そうなりませんでした。
カウンセリングルームに来室するまでが、その限界でした。
母親と話し、母親の心をほぐしていきます。
今は心配だらけです。
その姿勢で、話を聴きます。
すると、こう話し始めました。
「どうしたらよいか、分かりません」
多くの場合、このように話し始めます。
それに対し、すぐ答えを言いたくなるものです。
だが、カウンセリングではすぐには答えません。
話を聴く姿勢が大切です。
姿勢が全てをかえます。
ただひたすら聴きます。
その時に無関心に見えてはいけません。
日本人の場合は、ただひたすら聴くことが無関心に見えがちです。
ココが注意点です。
それゆえに嗜好語りのカウンセリングも取り入れました。
嗜好を語り、話を希望に導くカウンセリングです。
新しい人生の物語をつくります。
想像することなく、創造します。
ナラティブ・セラピーです。
脱構築のセラピーです。
全てのカウンセリングに新しい生き方を目指す要素はあります。
ナラティブ・セラピーはそれそのものです。
カウンセラーは「もしここに子供さんが来たら、どう思うでしょうね?」と尋ねます。
ナラティブ・セラピーを含む短期カウンセリングは、質問により進むことが多いのです。
母親は、こうこたえます。
「ずい分、かわったところだね」
カウンセラーは微笑みました。
母親も微笑みました。
その微笑みはただよいました。
全体を和ませました。
この子にとって、久しぶりの笑顔です。
それだけでも、母親にとってはうれしいものです。
これを真っすぐに前に伸ばせればベストです。
でもそれには多くの困難がともないます。
カウンセラーは、それを心得ています。
よってこの子の話したいことに、話の舵を切ります。
この子は天文に興味があります。
プラネタリウムにも、よく行きます。
そこで天文の話から入ります。
話を、この子に向けました。
誰でも興味のある事はよく話します。
この子も、そうです。
しゃべりだすと楽しくて、楽しくてしょうがありません。
親によってはここで、困った事が起きます。
どうしてもストップをかけてしまいます。
だがそれが決定的なミスに通じるものではありません。
そのストップは、親の心配から発せられるものです。
その親の心配に対応します。
困難な状態にいる人は、ハイパーです。
過剰に動き回ります。
その過剰さが、困難を生みます。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。
子供に強く言いきかせます。
それが悪循環を生みます。
おしゃべりは良くも悪くもありません。
自己表現です。
自己表現をストップさせます。
その結果、悪循環に戻ります。
新しいカウンセリングでは、子供に自己表現させます。
この子は天文に興味がありますから、天文の話から入りました。
そうすると、よく話してくれます。
むちゅうで話します。
それだけでも改善効果は有ります。
それをまっすぐに伸ばせれば、良いともいえます。
そのために、カウンセラーはそれを認めます。
称賛します。
称賛が支えます。
この子のこころの糧になります。
天文の話をしながら、終わる場合もあります。
困難の大きな子は終わります。
大きな困難は、「急がば回れ」です。
「急いては事を仕損じる」です。
急がないで待っている。
待っている間に、何かは育まれています。
子供の内面は大きく変化しているものです。
気づかない親がいるだけです。
この子はいきいきしています。
次の面接では、それを前に進めます。
そのために質問をします。
質問により進むのです。
このいきいきさを深めるための質問です。
「こんな楽しいことあった?」
正確には「こんな楽しいこと『最近』あった?」です。
すぐそばに解決を見つけようとするのが新しいカウンセリングです。
この子はこう言いました。
「七夕の学校の授業!」
カウンセラーは、その元気の良さに驚きました。
「なぜ?」と問いました。
この子はこう言いました。
「七夕のことを学校でみんなに話せたから!」
またカウンセラーは、その元気の良さに驚きました。
「どうして、そんなによかったの?」と問いました。
「みんなが僕を認めてくれた!」
大きな声で、こう言いました。
この子は、認められたいのです。
今それは確認されました。
これが改善のポイントです。
カウンセラーも家族にそれを指摘しました。
そうすると、うなずきました。
無言で了解したのです。
それを現実化することが必要です。
そのためにカウンセラーは、家族を認めます。
先ず最初に、カウンセラーは家族を認めます。
それが土台になり、家族は子供を認めようとできるのです。
多くの場合、「子供をみとめてあげなさい」という指示になりがちです。
指示は逆効果であることが多いのです。
なぜかというと、「分かるけれどもできない」ことに入り込むからです。
その「分かるけれどもできない」ことが壁になります。
先ず自分が認められること。
それが基礎です。
自分が認められることにより、他者を認められます。
このプロセスが必要です。
子供のカウンセリングと言うけれども、正確には違います。
親のカウンセリングでもあるのです。
親のこころの問題が、子供に現れているとも言えます。
それゆえに親のカウンセリングも必要です。
ケースによっては親のカウンセリングのみでも改善します。
少なくとも、前には進みます。
親をも含めた協力。
これこそが全てをかえます。
この子の場合、七夕の短冊を親と作っても良いのです。
何かを一緒に行うだけでも、良いのです。
年齢の低い子供ほど、それは有効です。
ただし年齢が上がるほど、複雑になります。
それにより言葉によるカウンセリングに軸足は移ります。
重心は言葉に移ります。
さらに新しいカウンセリングには、友達の子供の参加もあり得るのです。
これは従来のカウンセリングでは、あまりありませんでした。
不登校であれば、不登校の子の友達がカウンセリングに参加します。
気の合った友達です。
より具体的な道筋。
そのために気の合った友達は、カウンセリングに参加します。
その気の合った友達は、当然ながら子供自身が決めます。
これも親が決めがちですが、子供が自分で決めます。
その子と、本人のコミュニケーションからスタートします。
そのために、母親にその子に連絡を取ってもらいました。
家族参加のカウンセリングです。
正確には家族と友達も含めたカウンセリングです。
その子と何かを作ります。
それは小さなプラネタリウムでした。
小さなプラネタリウムを作ることが、カウンセリングになります。
カウンセラーも参加します。
みんなで工作をします。
それがカウンセリングになります。
共同作業による協力が、カウンセリングです。
その中で、何かをつかみます。
協力やそれにおける信頼。
人としての土台です。
その土台の上に家を建てます。
人格形成します。
それを現実の登校に結び付けていくのです。
そのためのカウンセリングも行います。
それは質問によります。
「何が登校を妨げていますか?」
このように問題を外に置きます。
より正確には外に置けるような質問をします。
自分のこころの内側の問題とするとハードルは高くなります。
外側に置けば、ハードルは低くなります。
この「何が登校を妨げていますか?」という質問は、外側に問題設定するための質問です。
この子は「学校の持つ重苦しさ」とこたえました。
次はその「学校の持つ重苦しさ」に名前を付けます。
その子なりの、ネーミングをするのです。
この子は「学校の持つ重苦しさ」を重しと名付けました。
学校で押し花を作る時の、重しから名付けました。
このように外側に問題を設定します。
そうやって扱っていきます。
なお新しいカウンセリングは、主に質問により改善に向かいます。
「重しは、どれぐらいの重さ?」
それに対し、こう答えます。
「自分を押し花にはしないけど、とても重い」
カウンセラーはこう問います。
「重しが取れたら、どうなるの?」
それに対し、こう答えます。
「重くなくなれば、自由に動ける」
カウンセラーはこう問います。
「朝起きて重しはどうなの、重みを感じる?」
「目が覚めると『重くなかったらいいのになあ』と考えます」
こう答えました。
それに対してカウンセラーはこう問います。
「もし重しが取れていたら、どうしますか?」
この質問により、いつもの毎日と違う一日の物語を作っていきます。
最初は想像でかまいません。
その想像を現実化し、生活を創造するようにしていきます。
この「もし重しが取れていたら、どうしますか?」と言う質問が、スタートです。
この子は、こう答えます。
「のびのびと生きる」
それに対してカウンセラーは、こう尋ねます。
「のびのびと生きられたら、最初に何をするの」
こんな希望から、話は始まります。
それだけで笑顔はやってきます。
「今はゲームばかりだけど、家から出てみる!」
こんな会話が続きます。
小さな一歩。
ほんの小さな一歩こそが大切です。
その小さな一歩を歩みだすことです。
小さな一歩ならできます。
それを先ずやってみる事。
これが最初の一歩になります。
「今はゲームばかりだけど、家から出てみる!」
これが最初の一歩です。
この一歩が宿題になります。
次のカウンセリングまでの宿題になります。
その宿題をやってもらいます。
だが、できないこともあります。
その場合にどうするかという、問題が出てきます。
カウンセリングで改善できるかできないかは、ここに掛かっていると言えます。
その場合に、従来はカウンセリングを深めました。
会話による方法を、深めました。
それでスムーズに進むこともあります。
だが進まないこともあります。
その時カウンセラーは、ケースワーカーのような役割をします。
一緒にその小さなことを行います。
「今はゲームばかりだけど、家から出てみる!」
これが最初の一歩でした。
カウンセラーは、ケースワーカーのような役割をしました。
一緒に家から出ました。
ともに歩みました。
一歩一歩ともに歩みました。
最初の一歩だけで、すむ場合もあります。
何歩もともに歩まなければいけない、場合もあります。
だがどのようなケースでも、最後は独りで歩きます。
それがゴールです。
従来のカウンセリングは、話し合う事のみでした。
そこから先は、カウンセリングの外にありました。
だがカウンセリングも進歩し、広がり深まります。
その広がりが、カウンセラーの現実参加です。
さらには、友人の現実参加です。
この子の学校では、グループ学習の時間が有りました。
そのグループ学習の、グループの子にもカウンセリングに参加してもらいます。
そのために母親から、連絡してもらいました。
グループ学習は、学校の鶏の観察でした。
この子は恐竜に興味がありました。
そこで、以前恐竜について学んだことを思い出しました。
それは恐竜が進化して、鳥になったという学説です。
その学説なら、何でもこいです。
そこでグループ学習に参加するように、勧めました。
だが、煮え切らない態度です。
親はここで、いらだちます。
いらだったら負けです。
徳川家康の言うように「怒りは敵」です。
待ちます。
とにかく、待ちます。
この子の場合は、グループの子にもカウンセリングに参加してもらいました。
そこで、それを活かしました。活用しました。
グループの子にカウンセリングに参加してもらうために、母親からアポイントメントを取ってもらいました。
この子の母親は、今までにその子に会っていたからです。
何回かアポイントメントを取りました。
それだけでも、カウンセリングのような意味があります。
こころよく、来てくれることになります。
新しいカウンセリングでは、使えるものはフルに使います。
グループ学習に参加する準備を、始めます。
それはおだやかなものであることが、大切です。
おだやかで、のびのびしたもの。
それがこころを解放させます。
そのためにカウンセリングルームの面接室を利用することもあります。
その子の家を利用することもあります。
この子は、カウンセリングルームの面接室を利用しました。
家庭よりも、学校の教室に近い印象を持たせるためです。
それにより、登校に切りかえやすいと思ったからです。
学校と同じような印象を必要としたのです。
さらに述べます。
新しいカウンセリングとして、「こころの傷を持った子供」のカウンセリングを述べます。
今日から不登校の子供の改善を述べます。
不登校の子供に、いろいろな意見があります。不登校は一括りできません。
性格の異なる、多くの原因とその解決法があります。
例えば「登校を強いるべきか」という問題もあります。
これもケースバイケースです。
ある場合には必要であり、ある場合には害になります。
同じ顔の子供もいないように、同じスタイルの不登校もありません。
不登校が、学校恐怖によるものである時はカウンセリングは有効です。
その不登校は、こころの傷によるものだからです。
不登校は「学校の問題か、家庭の問題か」という事も良く言われます。
これもケースバイケースです。
ただし後者の、家庭の問題であるときは家族カウンセリングという方法もあります。
その家族カウンセリングを行います。
学校の問題であるときは、社会的なアプローチの必要があります。
そのときは学校との連絡が、より必要です。
場合によっては、フリースクールも利用されるべきです。
社会的資源の利用が必要になります。
現在では国もフリースクールの意義と価値を認めています。
不登校の性格によっては、改善の足掛かりとなるものです。
以前は転校が考えられました。
だが転校は、今では後ろ向きなものと捉えられています。
多くの場合、転校しても同じです。
同じことの繰り返しです。
同じパターンを繰り返します。
それよりもフリースクールは意義と価値があります。
それなりの対応はします。
そのようにカリキュラムも組まれています。
だが極端な問題が学校にあれば、別です。
極端ないじめや体罰がある場合です。
その場合は、現実の改善が必要です。
現実が悪すぎる時は、現実をかえることです。
そのための転校です。
だが転校は、改善にならないことが多いのです。
転校した学校でも、同じようなことは起きがちです。
学校の本質は変わっていないのです。
その意味でフリースクールは意義と価値があります。
今までの学校とは、対応が異なります。
本質が変わらなければ、意味はありません。
変わるからこそ、意味はあります。
そこで新しい自分を発見できます。
さらには新しい自分をクリエイトできます。
そのような意味があります。
それでもカウンセリングを行った方が、効果はあります。
カウンセリングによる解決を述べていきます。
正確には新しいカウンセリングによる解決を述べていきます。
新しいカウンセリングは、小さな一歩のカウンセリングです。
それは大人も、子供も同じです。
その小さな一歩は容易な一歩です。
すぐできる一歩です。
その小さな一歩の積み重ねこそが、解決に向かいます。
ある意味、急がば回れです。
次に新しいカウンセリングによる不登校の解決をモデルにより述べます。
この子は小学3年生の男の子です。
多くの場合、不登校になると学校の先生から連絡があります。
登校せず、寄り道していることが多いからです。
そこから、葛藤は表面化します。
それは家族は扱えかねぬものです。
先ず直面する問題は、先生も親もどうすれば良いかわからないという事です。
先ず「登校を強いるべきか」で困ります。
それに対する答えは、ありません。
正確には、「マニュアルはない」のです。
それよりも、すぐそばに道はあります。
それが前に解決を見いだすカウンセリングです。
小学3年生の男の子は、カウンセリングルームに母親から電話がありました。
とても困ったようです。
不登校のため学校の先生から連絡があったのです。
これまでも数日の不登校はありました。
だが今度の不登校は長いのです。
親は心配です。
この男の子は、カウンセリングルームに来ることも困難です。
このようなケースは多いのです。
その場合は、先ず親が来室します。
親とカウンセリングを行います。
場合によっては、親とのカウンセリングだけの場合もあります。
それだけで登校することもあります。
親とのカウンセリングで、子に対する対応をかえます。
それだけで改善することも多いのです。
だがこのケースでは、そうなりませんでした。
カウンセリングルームに来室するまでが、その限界でした。
母親と話し、母親の心をほぐしていきます。
今は心配だらけです。
その姿勢で、話を聴きます。
すると、こう話し始めました。
「どうしたらよいか、分かりません」
多くの場合、このように話し始めます。
それに対し、すぐ答えを言いたくなるものです。
だが、カウンセリングではすぐには答えません。
話を聴く姿勢が大切です。
姿勢が全てをかえます。
ただひたすら聴きます。
その時に無関心に見えてはいけません。
日本人の場合は、ただひたすら聴くことが無関心に見えがちです。
ココが注意点です。
それゆえに嗜好語りのカウンセリングも取り入れました。
嗜好を語り、話を希望に導くカウンセリングです。
新しい人生の物語をつくります。
想像することなく、創造します。
ナラティブ・セラピーです。
脱構築のセラピーです。
全てのカウンセリングに新しい生き方を目指す要素はあります。
ナラティブ・セラピーはそれそのものです。
カウンセラーは「もしここに子供さんが来たら、どう思うでしょうね?」と尋ねます。
ナラティブ・セラピーを含む短期カウンセリングは、質問により進むことが多いのです。
母親は、こうこたえます。
「ずい分、かわったところだね」
カウンセラーは微笑みました。
母親も微笑みました。
その微笑みはただよいました。
全体を和ませました。
この子にとって、久しぶりの笑顔です。
それだけでも、母親にとってはうれしいものです。
これを真っすぐに前に伸ばせればベストです。
でもそれには多くの困難がともないます。
カウンセラーは、それを心得ています。
よってこの子の話したいことに、話の舵を切ります。
この子は天文に興味があります。
プラネタリウムにも、よく行きます。
そこで天文の話から入ります。
話を、この子に向けました。
誰でも興味のある事はよく話します。
この子も、そうです。
しゃべりだすと楽しくて、楽しくてしょうがありません。
親によってはここで、困った事が起きます。
どうしてもストップをかけてしまいます。
だがそれが決定的なミスに通じるものではありません。
そのストップは、親の心配から発せられるものです。
その親の心配に対応します。
困難な状態にいる人は、ハイパーです。
過剰に動き回ります。
その過剰さが、困難を生みます。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。
子供に強く言いきかせます。
それが悪循環を生みます。
おしゃべりは良くも悪くもありません。
自己表現です。
自己表現をストップさせます。
その結果、悪循環に戻ります。
新しいカウンセリングでは、子供に自己表現させます。
この子は天文に興味がありますから、天文の話から入りました。
そうすると、よく話してくれます。
むちゅうで話します。
それだけでも改善効果は有ります。
それをまっすぐに伸ばせれば、良いともいえます。
そのために、カウンセラーはそれを認めます。
称賛します。
称賛が支えます。
この子のこころの糧になります。
天文の話をしながら、終わる場合もあります。
困難の大きな子は終わります。
大きな困難は、「急がば回れ」です。
「急いては事を仕損じる」です。
急がないで待っている。
待っている間に、何かは育まれています。
子供の内面は大きく変化しているものです。
気づかない親がいるだけです。
この子はいきいきしています。
次の面接では、それを前に進めます。
そのために質問をします。
質問により進むのです。
このいきいきさを深めるための質問です。
「こんな楽しいことあった?」
正確には「こんな楽しいこと『最近』あった?」です。
すぐそばに解決を見つけようとするのが新しいカウンセリングです。
この子はこう言いました。
「七夕の学校の授業!」
カウンセラーは、その元気の良さに驚きました。
「なぜ?」と問いました。
この子はこう言いました。
「七夕のことを学校でみんなに話せたから!」
またカウンセラーは、その元気の良さに驚きました。
「どうして、そんなによかったの?」と問いました。
「みんなが僕を認めてくれた!」
大きな声で、こう言いました。
この子は、認められたいのです。
今それは確認されました。
これが改善のポイントです。
カウンセラーも家族にそれを指摘しました。
そうすると、うなずきました。
無言で了解したのです。
それを現実化することが必要です。
そのためにカウンセラーは、家族を認めます。
先ず最初に、カウンセラーは家族を認めます。
それが土台になり、家族は子供を認めようとできるのです。
多くの場合、「子供をみとめてあげなさい」という指示になりがちです。
指示は逆効果であることが多いのです。
なぜかというと、「分かるけれどもできない」ことに入り込むからです。
その「分かるけれどもできない」ことが壁になります。
先ず自分が認められること。
それが基礎です。
自分が認められることにより、他者を認められます。
このプロセスが必要です。
子供のカウンセリングと言うけれども、正確には違います。
親のカウンセリングでもあるのです。
親のこころの問題が、子供に現れているとも言えます。
それゆえに親のカウンセリングも必要です。
ケースによっては親のカウンセリングのみでも改善します。
少なくとも、前には進みます。
親をも含めた協力。
これこそが全てをかえます。
この子の場合、七夕の短冊を親と作っても良いのです。
何かを一緒に行うだけでも、良いのです。
年齢の低い子供ほど、それは有効です。
ただし年齢が上がるほど、複雑になります。
それにより言葉によるカウンセリングに軸足は移ります。
重心は言葉に移ります。
さらに新しいカウンセリングには、友達の子供の参加もあり得るのです。
これは従来のカウンセリングでは、あまりありませんでした。
不登校であれば、不登校の子の友達がカウンセリングに参加します。
気の合った友達です。
より具体的な道筋。
そのために気の合った友達は、カウンセリングに参加します。
その気の合った友達は、当然ながら子供自身が決めます。
これも親が決めがちですが、子供が自分で決めます。
その子と、本人のコミュニケーションからスタートします。
そのために、母親にその子に連絡を取ってもらいました。
家族参加のカウンセリングです。
正確には家族と友達も含めたカウンセリングです。
その子と何かを作ります。
それは小さなプラネタリウムでした。
小さなプラネタリウムを作ることが、カウンセリングになります。
カウンセラーも参加します。
みんなで工作をします。
それがカウンセリングになります。
共同作業による協力が、カウンセリングです。
その中で、何かをつかみます。
協力やそれにおける信頼。
人としての土台です。
その土台の上に家を建てます。
人格形成します。
それを現実の登校に結び付けていくのです。
そのためのカウンセリングも行います。
それは質問によります。
「何が登校を妨げていますか?」
このように問題を外に置きます。
より正確には外に置けるような質問をします。
自分のこころの内側の問題とするとハードルは高くなります。
外側に置けば、ハードルは低くなります。
この「何が登校を妨げていますか?」という質問は、外側に問題設定するための質問です。
この子は「学校の持つ重苦しさ」とこたえました。
次はその「学校の持つ重苦しさ」に名前を付けます。
その子なりの、ネーミングをするのです。
この子は「学校の持つ重苦しさ」を重しと名付けました。
学校で押し花を作る時の、重しから名付けました。
このように外側に問題を設定します。
そうやって扱っていきます。
なお新しいカウンセリングは、主に質問により改善に向かいます。
「重しは、どれぐらいの重さ?」
それに対し、こう答えます。
「自分を押し花にはしないけど、とても重い」
カウンセラーはこう問います。
「重しが取れたら、どうなるの?」
それに対し、こう答えます。
「重くなくなれば、自由に動ける」
カウンセラーはこう問います。
「朝起きて重しはどうなの、重みを感じる?」
「目が覚めると『重くなかったらいいのになあ』と考えます」
こう答えました。
それに対してカウンセラーはこう問います。
「もし重しが取れていたら、どうしますか?」
この質問により、いつもの毎日と違う一日の物語を作っていきます。
最初は想像でかまいません。
その想像を現実化し、生活を創造するようにしていきます。
この「もし重しが取れていたら、どうしますか?」と言う質問が、スタートです。
この子は、こう答えます。
「のびのびと生きる」
それに対してカウンセラーは、こう尋ねます。
「のびのびと生きられたら、最初に何をするの」
こんな希望から、話は始まります。
それだけで笑顔はやってきます。
「今はゲームばかりだけど、家から出てみる!」
こんな会話が続きます。
小さな一歩。
ほんの小さな一歩こそが大切です。
その小さな一歩を歩みだすことです。
小さな一歩ならできます。
それを先ずやってみる事。
これが最初の一歩になります。
「今はゲームばかりだけど、家から出てみる!」
これが最初の一歩です。
この一歩が宿題になります。
次のカウンセリングまでの宿題になります。
その宿題をやってもらいます。
だが、できないこともあります。
その場合にどうするかという、問題が出てきます。
カウンセリングで改善できるかできないかは、ここに掛かっていると言えます。
その場合に、従来はカウンセリングを深めました。
会話による方法を、深めました。
それでスムーズに進むこともあります。
だが進まないこともあります。
その時カウンセラーは、ケースワーカーのような役割をします。
一緒にその小さなことを行います。
「今はゲームばかりだけど、家から出てみる!」
これが最初の一歩でした。
カウンセラーは、ケースワーカーのような役割をしました。
一緒に家から出ました。
ともに歩みました。
一歩一歩ともに歩みました。
最初の一歩だけで、すむ場合もあります。
何歩もともに歩まなければいけない、場合もあります。
だがどのようなケースでも、最後は独りで歩きます。
それがゴールです。
従来のカウンセリングは、話し合う事のみでした。
そこから先は、カウンセリングの外にありました。
だがカウンセリングも進歩し、広がり深まります。
その広がりが、カウンセラーの現実参加です。
さらには、友人の現実参加です。
この子の学校では、グループ学習の時間が有りました。
そのグループ学習の、グループの子にもカウンセリングに参加してもらいます。
そのために母親から、連絡してもらいました。
グループ学習は、学校の鶏の観察でした。
この子は恐竜に興味がありました。
そこで、以前恐竜について学んだことを思い出しました。
それは恐竜が進化して、鳥になったという学説です。
その学説なら、何でもこいです。
そこでグループ学習に参加するように、勧めました。
だが、煮え切らない態度です。
親はここで、いらだちます。
いらだったら負けです。
徳川家康の言うように「怒りは敵」です。
待ちます。
とにかく、待ちます。
この子の場合は、グループの子にもカウンセリングに参加してもらいました。
そこで、それを活かしました。活用しました。
グループの子にカウンセリングに参加してもらうために、母親からアポイントメントを取ってもらいました。
この子の母親は、今までにその子に会っていたからです。
何回かアポイントメントを取りました。
それだけでも、カウンセリングのような意味があります。
こころよく、来てくれることになります。
新しいカウンセリングでは、使えるものはフルに使います。
グループ学習に参加する準備を、始めます。
それはおだやかなものであることが、大切です。
おだやかで、のびのびしたもの。
それがこころを解放させます。
そのためにカウンセリングルームの面接室を利用することもあります。
その子の家を利用することもあります。
この子は、カウンセリングルームの面接室を利用しました。
家庭よりも、学校の教室に近い印象を持たせるためです。
それにより、登校に切りかえやすいと思ったからです。
学校と同じような印象を必要としたのです。
さらに述べます。
新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1045
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Posted by counsellor at 13:41
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