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2021年07月08日

新しいカウンセリング こころの傷を持った子供 1001

お知らせ 2019年台風19号、北海道地震、東日本大震災の被災者及びご家族、お知り合いに被災者のいらっしゃる方のためにボランティアによる無料の電話によるこころのカウンセリングを行っております。24時間受け付けております。ご利用ください。℡03-5888-7354です。

新しいカウンセリングとして、「こころの傷を持った子供」のカウンセリングを述べます。

今日から不登校の子供の改善を述べます。

不登校の子供に、いろいろな意見があります。不登校は一括りできません。
性格の異なる、多くの原因とその解決法があります。

例えば「登校を強いるべきか」という問題もあります。
これもケースバイケースです。

ある場合には必要であり、ある場合には害になります。
同じ顔の子供もいないように、同じスタイルの不登校もありません。

不登校が、学校恐怖によるものである時はカウンセリングは有効です。
その不登校は、こころの傷によるものだからです。

不登校は「学校の問題か、家庭の問題か」という事も良く言われます。
これもケースバイケースです。

ただし後者の、家庭の問題であるときは家族カウンセリングという方法もあります。
その家族カウンセリングを行います。

学校の問題であるときは、社会的なアプローチの必要があります。
そのときは学校との連絡が、より必要です。

場合によっては、フリースクールも利用されるべきです。
社会的資源の利用が必要になります。

現在では国もフリースクールの意義と価値を認めています。
不登校の性格によっては、改善の足掛かりとなるものです。

以前は転校が考えられました。
だが転校は、今では後ろ向きなものと捉えられています。

多くの場合、転校しても同じです。
同じことの繰り返しです。

同じパターンを繰り返します。
それよりもフリースクールは意義と価値があります。

それなりの対応はします。
そのようにカリキュラムも組まれています。

だが極端な問題が学校にあれば、別です。
極端ないじめや体罰がある場合です。

その場合は、現実の改善が必要です。
現実が悪すぎる時は、現実をかえることです。

そのための転校です。
だが転校は、改善にならないことが多いのです。

転校した学校でも、同じようなことは起きがちです。
学校の本質は変わっていないのです。

その意味でフリースクールは意義と価値があります。
今までの学校とは、対応が異なります。

本質が変わらなければ、意味はありません。
変わるからこそ、意味はあります。

そこで新しい自分を発見できます。
さらには新しい自分をクリエイトできます。

そのような意味があります。
それでもカウンセリングを行った方が、効果はあります。

カウンセリングによる解決を述べていきます。
正確には新しいカウンセリングによる解決を述べていきます。

新しいカウンセリングは、小さな一歩のカウンセリングです。
それは大人も、子供も同じです。

その小さな一歩は容易な一歩です。
すぐできる一歩です。

その小さな一歩の積み重ねこそが、解決に向かいます。
ある意味、急がば回れです。

次に新しいカウンセリングによる不登校の解決をモデルにより述べます。
この子は小学3年生の男の子です。

多くの場合、不登校になると学校の先生から連絡があります。
登校せず、寄り道していることが多いからです。

そこから、葛藤は表面化します。
それは家族は扱えかねぬものです。

先ず直面する問題は、先生も親もどうすれば良いかわからないという事です。
先ず「登校を強いるべきか」で困ります。

それに対する答えは、ありません。
正確には、「マニュアルはない」のです。

それよりも、すぐそばに道はあります。
それが前に解決を見いだすカウンセリングです。

小学3年生の男の子は、カウンセリングルームに母親から電話がありました。
とても困ったようです。

不登校のため学校の先生から連絡があったのです。
これまでも数日の不登校はありました。

だが今度の不登校は長いのです。
親は心配です。

この男の子は、カウンセリングルームに来ることも困難です。
このようなケースは多いのです。

その場合は、先ず親が来室します。
親とカウンセリングを行います。

場合によっては、親とのカウンセリングだけの場合もあります。
それだけで登校することもあります。

親とのカウンセリングで、子に対する対応をかえます。
それだけで改善することも多いのです。

だがこのケースでは、そうなりませんでした。
カウンセリングルームに来室するまでが、その限界でした。

母親と話し、母親の心をほぐしていきます。
今は心配だらけです。

その姿勢で、話を聴きます。
すると、こう話し始めました。

「どうしたらよいか、分かりません」
多くの場合、このように話し始めます。

それに対し、すぐ答えを言いたくなるものです。
だが、カウンセリングではすぐには答えません。

話を聴く姿勢が大切です。
姿勢が全てをかえます。

ただひたすら聴きます。
その時に無関心に見えてはいけません。

日本人の場合は、ただひたすら聴くことが無関心に見えがちです。
ココが注意点です。

それゆえに嗜好語りのカウンセリングも取り入れました。
嗜好を語り、話を希望に導くカウンセリングです。

新しい人生の物語をつくります。
想像することなく、創造します。

ナラティブ・セラピーです。
脱構築のセラピーです。

全てのカウンセリングに新しい生き方を目指す要素はあります。
ナラティブ・セラピーはそれそのものです。

カウンセラーは「もしここに子供さんが来たら、どう思うでしょうね?」と尋ねます。
ナラティブ・セラピーを含む短期カウンセリングは、質問により進むことが多いのです。

母親は、こうこたえます。
「ずい分、かわったところだね」

カウンセラーは微笑みました。
母親も微笑みました。

その微笑みはただよいました。
全体を和ませました。

この子にとって、久しぶりの笑顔です。
それだけでも、母親にとってはうれしいものです。

これを真っすぐに前に伸ばせればベストです。
でもそれには多くの困難がともないます。

カウンセラーは、それを心得ています。
よってこの子の話したいことに、話の舵を切ります。

この子は天文に興味があります。
プラネタリウムにも、よく行きます。

そこで天文の話から入ります。
話を、この子に向けました。

誰でも興味のある事はよく話します。
この子も、そうです。

しゃべりだすと楽しくて、楽しくてしょうがありません。
親によってはここで、困った事が起きます。

どうしてもストップをかけてしまいます。
だがそれが決定的なミスに通じるものではありません。

そのストップは、親の心配から発せられるものです。
その親の心配に対応します。

困難な状態にいる人は、ハイパーです。
過剰に動き回ります。

その過剰さが、困難を生みます。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。

子供に強く言いきかせます。
それが悪循環を生みます。

おしゃべりは良くも悪くもありません。
自己表現です。

自己表現をストップさせます。
その結果、悪循環に戻ります。

新しいカウンセリングでは、子供に自己表現させます。
この子は天文に興味がありますから、天文の話から入りました。

そうすると、よく話してくれます。
むちゅうで話します。

それだけでも改善効果は有ります。
それをまっすぐに伸ばせれば、良いともいえます。

そのために、カウンセラーはそれを認めます。
称賛します。

称賛が支えます。
この子のこころの糧になります。

天文の話をしながら、終わる場合もあります。
困難の大きな子は終わります。

大きな困難は、「急がば回れ」です。
「急いては事を仕損じる」です。

急がないで待っている。
待っている間に、何かは育まれています。

子供の内面は大きく変化しているものです。
気づかない親がいるだけです。

この子はいきいきしています。
次の面接では、それを前に進めます。

そのために質問をします。
質問により進むのです。

このいきいきさを深めるための質問です。
「こんな楽しいことあった?」

正確には「こんな楽しいこと『最近』あった?」です。
すぐそばに解決を見つけようとするのが新しいカウンセリングです。

この子はこう言いました。
「七夕の学校の授業!」

カウンセラーは、その元気の良さに驚きました。
「なぜ?」と問いました。

この子はこう言いました。
「七夕のことを学校でみんなに話せたから!」

またカウンセラーは、その元気の良さに驚きました。
「どうして、そんなによかったの?」と問いました。

「みんなが僕を認めてくれた!」
大きな声で、こう言いました。

この子は、認められたいのです。
今それは確認されました。

これが改善のポイントです。
カウンセラーも家族にそれを指摘しました。

そうすると、うなずきました。
無言で了解したのです。

それを現実化することが必要です。
そのためにカウンセラーは、家族を認めます。

先ず最初に、カウンセラーは家族を認めます。
それが土台になり、家族は子供を認めようとできるのです。

多くの場合、「子供をみとめてあげなさい」という指示になりがちです。
指示は逆効果であることが多いのです。

なぜかというと、「分かるけれどもできない」ことに入り込むからです。
その「分かるけれどもできない」ことが壁になります。

先ず自分が認められること。
それが基礎です。

自分が認められることにより、他者を認められます。
このプロセスが必要です。

子供のカウンセリングと言うけれども、正確には違います。
親のカウンセリングでもあるのです。

親のこころの問題が、子供に現れているとも言えます。
それゆえに親のカウンセリングも必要です。

ケースによっては親のカウンセリングのみでも改善します。
少なくとも、前には進みます。

親をも含めた協力。
これこそが全てをかえます。

この子の場合、七夕の短冊を親と作っても良いのです。
何かを一緒に行うだけでも、良いのです。

年齢の低い子供ほど、それは有効です。
ただし年齢が上がるほど、複雑になります。

それにより言葉によるカウンセリングに軸足は移ります。
重心は言葉に移ります。

さらに新しいカウンセリングには、友達の子供の参加もあり得るのです。
これは従来のカウンセリングでは、あまりありませんでした。

不登校であれば、不登校の子の友達がカウンセリングに参加します。
気の合った友達です。

より具体的な道筋。
そのために気の合った友達は、カウンセリングに参加します。

その気の合った友達は、当然ながら子供自身が決めます。
これも親が決めがちですが、子供が自分で決めます。

その子と、本人のコミュニケーションからスタートします。
そのために、母親にその子に連絡を取ってもらいました。

家族参加のカウンセリングです。
正確には家族と友達も含めたカウンセリングです。

その子と何かを作ります。
それは小さなプラネタリウムでした。

小さなプラネタリウムを作ることが、カウンセリングになります。
カウンセラーも参加します。

みんなで工作をします。
それがカウンセリングになります。

共同作業による協力が、カウンセリングです。
その中で、何かをつかみます。

協力やそれにおける信頼。
人としての土台です。

その土台の上に家を建てます。
人格形成します。

それを現実の登校に結び付けていくのです。
そのためのカウンセリングも行います。

それは質問によります。
「何が登校を妨げていますか?」

このように問題を外に置きます。
より正確には外に置けるような質問をします。

自分のこころの内側の問題とするとハードルは高くなります。
外側に置けば、ハードルは低くなります。

この「何が登校を妨げていますか?」という質問は、外側に問題設定するための質問です。
この子は「学校の持つ重苦しさ」とこたえました。

次はその「学校の持つ重苦しさ」に名前を付けます。
その子なりの、ネーミングをするのです。

この子は「学校の持つ重苦しさ」を重しと名付けました。
学校で押し花を作る時の、重しから名付けました。

このように外側に問題を設定します。
そうやって扱っていきます。

なお新しいカウンセリングは、主に質問により改善に向かいます。
「重しは、どれぐらいの重さ?」

それに対し、こう答えます。
「自分を押し花にはしないけど、とても重い」

カウンセラーはこう問います。
「重しが取れたら、どうなるの?」

それに対し、こう答えます。
「重くなくなれば、自由に動ける」

カウンセラーはこう問います。
「朝起きて重しはどうなの、重みを感じる?」

「目が覚めると『重くなかったらいいのになあ』と考えます」
こう答えました。

それに対してカウンセラーはこう問います。
「もし重しが取れていたら、どうしますか?」

この質問により、いつもの毎日と違う一日の物語を作っていきます。
最初は想像でかまいません。

その想像を現実化し、生活を創造するようにしていきます。
この「もし重しが取れていたら、どうしますか?」と言う質問が、スタートです。

この子は、こう答えます。
「のびのびと生きる」

それに対してカウンセラーは、こう尋ねます。
「のびのびと生きられたら、最初に何をするの」

こんな希望から、話は始まります。
それだけで笑顔はやってきます。

「今はゲームばかりだけど、家から出てみる!」
こんな会話が続きます。

小さな一歩。
ほんの小さな一歩こそが大切です。

その小さな一歩を歩みだすことです。
小さな一歩ならできます。

それを先ずやってみる事。
これが最初の一歩になります。

「今はゲームばかりだけど、家から出てみる!」
これが最初の一歩です。

この一歩が宿題になります。
次のカウンセリングまでの宿題になります。

その宿題をやってもらいます。
だが、できないこともあります。

その場合にどうするかという、問題が出てきます。
カウンセリングで改善できるかできないかは、ここに掛かっていると言えます。

その場合に、従来はカウンセリングを深めました。
会話による方法を、深めました。

それでスムーズに進むこともあります。
だが進まないこともあります。

その時カウンセラーは、ケースワーカーのような役割をします。
一緒にその小さなことを行います。

「今はゲームばかりだけど、家から出てみる!」
これが最初の一歩でした。

カウンセラーは、ケースワーカーのような役割をしました。
一緒に家から出ました。

ともに歩みました。
一歩一歩ともに歩みました。

最初の一歩だけで、すむ場合もあります。
何歩もともに歩まなければいけない、場合もあります。

だがどのようなケースでも、最後は独りで歩きます。
それがゴールです。

従来のカウンセリングは、話し合う事のみでした。
そこから先は、カウンセリングの外にありました。

だがカウンセリングも進歩し、広がり深まります。
その広がりが、カウンセラーの現実参加です。

さらには、友人の現実参加です。
この子の学校では、グループ学習の時間が有りました。

そのグループ学習の、グループの子にもカウンセリングに参加してもらいます。
そのために母親から、連絡してもらいました。

グループ学習は、学校の鶏の観察でした。
この子は恐竜に興味がありました。

そこで、以前恐竜について学んだことを思い出しました。
それは恐竜が進化して、鳥になったという学説です。

その学説なら、何でもこいです。
そこでグループ学習に参加するように、勧めました。

だが、煮え切らない態度です。
親はここで、いらだちます。

いらだったら負けです。
徳川家康の言うように「怒りは敵」です。

待ちます。
とにかく、待ちます。

この子の場合は、グループの子にもカウンセリングに参加してもらいました。
そこで、それを活かしました。活用しました。

グループの子にカウンセリングに参加してもらうために、母親からアポイントメントを取ってもらいました。
この子の母親は、今までにその子に会っていたからです。

何回かアポイントメントを取りました。
それだけでも、カウンセリングのような意味があります。

こころよく、来てくれることになります。
新しいカウンセリングでは、使えるものはフルに使います。

グループ学習に参加する準備を、始めます。
それはおだやかなものであることが、大切です。

おだやかで、のびのびしたもの。
それがこころを解放させます。

そのためにカウンセリングルームの面接室を利用することもあります。
その子の家を利用することもあります。

この子は、カウンセリングルームの面接室を利用しました。
家庭よりも、学校の教室に近い印象を持たせるためです。

それにより、登校に切りかえやすいと思ったからです。
学校と同じような印象を必要としたのです。

学校と同じような雰囲気。
それを心がけました。

先ず、その親しい友達と勉強です。
勉強しやすい雰囲気を作ります。

子供だから、当然騒ぎ出しもします。
その時の対応の仕方がカウンセリングになります。

受容的な雰囲気を作ります。
暖かく受容的な雰囲気作りを心掛けます。

その暖かく受容的な雰囲気は、全てをかえます。
特に子供は、そうです。

子供は暖かく受容的な姿勢、それだけでもじゅうぶんな効果を上げます。
この事実は、人間性心理学により明らかにされています。

人格の建設的な変化は、親やカウンセラーの姿勢によります。
その姿勢が暖かく受容的であることが大切です。

この子も、暖かく受容的に受け入れられました。
それにより建設的な変化が起きました。

登校を、考え始めたのです。
これを真っすぐに伸ばすことです。

そのために、できることは?
子供をサポートすることです。

けっして強制ではありません。
サポートです。

手助けです。
お節介でもありません。

どうしても、お節介に流されがちです。
その自覚が大切です。

お節介にならない親切。
一番難しいですね。

そこで質問しました。
「学校に登校できるためには、あと何が必要ですか?」

それに対し、こう答えます。
「あと何人かの友達にここに来てもらいたい」

そこで、いま来ている子と話します。
話してみることは大事です。

子供どうしでの会話。
その会話をサポートします。

これも子供に任せる。
それが大切です。

多くの不登校は、任せれば改善します。
任せる勇気が必要です。

親、特に母親は任せれません。
それにより迷路をさまよいます。

任せられないことが原因です。
その結果が、不登校です。

子供は、任せられたい。
その気持ちが通りません。

よって、そのような場が必要です。
カウンセリングルームが、その役割になります。

この子も、任せられました。
子ども同士の会話も進みます。

その会話の中で、道はひらかれます。
前に進み、広がっていきます。

最初は、ほんの少し授業参加の話が出ます。
学校内の植物観察です。

それに参加することになります。
子ども同士の話し合いの結果です。

子ども同士の話し合いは大切です。
尊重すべきものです。

尊重されること。
それにより前に進みます。

生産的に前に進みます。
尊重されなければ、破壊的になります。

カウンセリングにおいて、常に攻撃性が出てくる可能性はあります。
これは注意点です。

精神分析療法では、常に攻撃性が出てくる可能性はあります。
なぜか? 解釈するからです。

その解釈により、自分が否定されたという印象を持つ場合があります。
それゆえに、攻撃性が出てくる可能性はあります。

自己尊重まで損なう解釈もあります。
そんな解釈は注意しなければいけません。

極端に言えば、解釈はカウンセラーを支えるもの。
相談者には、それほどの意味のないものと考えてもいいです。

カウンセラーが、カウンセリングがスムーズに進まないと思えることはあります。
そのとき解釈はカウンセラーを支えます。

カウンセラー自身を支えるものが、解釈とも言えます。
解釈は相談者には、有害とも言えます。

いまのカウンセリングで、解釈することは減る傾向にあります。
解釈は意味がないとも言えます。

子ども同士の話し合いの結果、初めの1時間の授業参加を決めました。
先ず月曜日の朝の学級会の参加です。

気持ちを新たに、参加できると思ったからです。
もちろん、友達も一緒に参加します。

それも友だちに任せます。
子供は、子供なりの解決力があります。

この子は恐竜に関する知識は、誰にも負けません。
友だちも、それを認めています。

そこでポケットに、恐竜の模型を入れて登校しました。
恐竜が、強い身方です。

「恐竜のことなら、誰にも負けないぞ」
この自信を持って、登校します。

月曜日の朝の学級会に参加します。
ポケットに、恐竜の模型という強い味方がいます。

そのような感じで出席しました。
その日は、無事終了です。

新しいカウンセリングは、小さな一歩を積み重ねるものです。
今日の成功に、小さな一歩を積み重ねていきます。

そのために、「物差しによる質問」を行います。
「物差しによる質問」とは、次のような質問です。

「1~10までメモリのある物差しがあります」
この物差しを用いるのが、「物差しによる質問」です。

さらに、この質問は続きます。
ここからが質問の本質です。

その質問は、次のように始めます。
「登校できてよかったですね」

1~10のメモリの有る、物差しがあります。
その物差しで、今日1⇒2にメモリが上がりました。

この事実から、始まります。
「明日2⇒3にメモリが上がったら、現実はどう変わっていますか?」

この質問は、2⇒3への小さな変化を起こすためのものです。
現実の小さな変化を積み重ねるのが、新しいカウンセリングの特徴です。

この子に、こう質問しました。
「今日1⇒2にメモリが上がったね」

現実の確認です。
確認から、小さくステップしていきます。

次に、さらに質問します。
それが前述の「明日2⇒3にメモリが上がったら、現実はどう変わっていますか?」

「もう少し、前向きになれます」
このような返事がかえってきました。

さらに質問は、続きます。
「もう少し前向きになるために、必要なことは?」

「恐竜の模型を、大きくする❣」
カウンセラーは首をかしげました。

それに対して、この子はこう答えます。
「自分が恐竜になる❣」

カウンセラーは「?」
その意味に困ります。

そこで質問します。
「君が恐竜になる⁉」

この質問に、こう答えます
「違う!話をよく聞いて」

「ごめんなさい」
カウンセラーは、こう応えます。

カウンセリングは、子供とのやり取りが決め手とも言えます。
内容は、本質とは言い切れません。

ただし自分のしていることは、ゴールに導くという確信がなければいけません。
そうでなければ、協力も不可能です。

理論と人間愛です。
正確には理論に裏付けられた人間愛です。

そこで「自分が恐竜になる❣」という言葉を受け止めます。
受け止め、持ちます。

持っているのが役割です。
すると子供は自(おの)ずから答えます。

答えを出すために「持つ」とも言えます。
けっして、答えを引き出させてはいけません。

そうしていると、答えは出るだけではありません。
熟していきます。

その答えは「びくともしない人になる」というものです。
ここで、劇によるカウンセリングに移行します。

新しいカウンセリングでは、話だけではありません。
現実に近い、劇によるカウンセリングも行います。

劇を通して、「びくともしない人になる」ようにします。
演劇により、「びくともしない人」を演じます。

それは、短い短い物語です。
ショートな物語です。

そこでその演劇を始めます。
その演劇はアドリブです。

状況を設定した、アドリブ劇になります。
その劇により、改善に導きます。

その劇は、「学校の朝のベルが鳴る」というところから始まります。
この子は、「学校の朝のベルが鳴る」と家に帰りたくなるからです。

そこから後は、アドリブ劇です。
この子は、考え込みました。

考え込んじゃだめ。
考え込まないための劇です。

私たちは、考え込んで迷路に入ります。
その扉を開きます。

そのための劇です。
できるだけ即興で演じてください。

身体が反応するように、演じる。
これが理想的です。

この子は、「学校の朝のベルが鳴る」と足が止まります。
そこをどうするかが、ポイントでした。

この子は、歩き続けました。
まっすぐに歩き続けました。

それを劇を通して、表現しました。
劇は、そのための場を与えました。

これは理想的に進んだケースです。
逆もあります。

どう演じたらよいか、躊躇するケースです。
その場合は、待ちます。

待っていれば、自然に動き出すことも多いのです。
だから原則は待ちます。

いくら待っても、何も動き出さないこともあります。
その時は、ヒントを出します。

そのヒントは、それぞれの状況によります。
この子は、こうしました。

カウンセラーはこう尋ねました。
「いつも困って、足が止まるの?」

「そう、止まっちゃう」
「止まらなければ、どうなるかな?」

このように、うまくいく方向に話を進めます。
前向きに、話を進めます。

子供の場合は、ハンドルを切りやすいです。
気持ちにまだ、余計なゴミがついていないからです。

この子は、こう言いました。
「止まらなければ、誰かに会うだろうね」

だが気持ちに、余計なゴミがついている子もいます。
その子は「そんなこと考えてもしょうがない」と言いがちです。

その時は、そこを暖めます。
大きく包み込むように暖めます。

カウンセラーは肯定します。
「考えてもしょうがないかもしれないね」

このように肯定します。
その子にとっては珍しい体験です。

肯定されれば、前向きになれます。
否定は、後ろ向きさを生みます。

この子も、それだけで元気になりました。
この元気を、現実化できれば良いのです。

そのように、話を進めます。
道筋をつけます。

その道筋に従い、生活を組み立てる。
登校するようにします。

それもカウンセリングです。
そんなセンスが必要です。

カウンセラーの「考えてもしょうがないかもしれないね」という言葉は、この子に響きました。
響き渡りました。

自分が受け入れられたからです。
前向きに考えられそうです。

そこでこの子は、こう言います。
「立ち止まらないこと」

こう考えたのです。
勇気のある言葉です。

この言葉も、肯定されます。
「そうだね、立ち止まらないことだね」

このように肯定を重ねていくのです。
そうやって、前向きさを引き出します。

そのために必要なもの。
それは信頼です。

先ず相手に対する信頼です。
この場合は、この子に対する信頼です。

さらには、起きることに対する信頼です。
次の出来事に対する信頼です。

次に何が起きても大丈夫。
この感覚がありません。

これは自分の周りに対する信頼感と言えます。
自分を包み込む信頼感です。

その信頼感を育みます。
そのための人間関係が必要です。

カウンセリングでは、そのための人間関係を与えます。
場を与えます。

その人間関係を通して、自己信頼を確立します。
その場を与え、活用します。

この自己信頼こそが、改善の決め手です。
それほどの重みがあります。

それを育むために、カウンセリングは行われる。
こう断言しても良いでしょう。

そのために、多くの技術も用います。
そう結論しても良いかもしれません。

ただやみくもに、進もうとすればうまくいきません。
通るべき道を、見通していることが必要です。

見通しているからこそ、ゆとりを持って事に当たれます。
ゆるぎなさも生まれます。

カウンセリング理論は大切です。
必要なものです。

大きな支えです。
ゆるぎない支えが、カウンセリングに対する信頼を生みます。

さらにはカウンセラーの自信にもつながります。
その姿勢こそが、相談者を支えます。

気持ちにゆとりがなければ、助けることはできません。
ゆとりある姿勢が大切です。

姿勢そのものが、改善に向かう雰意気を生みます。
それに乗っていくのです。

波乗りのように、乗っていきます。
改善のリズムに乗ります。

リズムに乗ったら、それに従います。
それが改善のポイントです。

そのために『落書き遊び』も取り入れました。
自由な気持ちを引き出すためです。

『落書き遊び』とは、ただ単に落書きを描き遊ぶのではありません。
そこにカウンセリングの技術も絡んでいます。

白い紙。
画用紙をよういします。

その画用紙に、カウンセラーが太い線で図形を描きます。
〇や△のような図形を描きます。

そこに、描き加えていきます。
自分で、自由に描き加えます。

〇が人の顔に描き加えられてもいいです。
猫の顔に描き加えられてもいいです。

とにかく自由に描きます。
ただしやみくもに、「自由に描く」と言ってもどうしていいか分わかりません。

そこで最初に、ウンセラーが太い線で図形を描くのです。
それは、カウンセリングの脱線を防ぐためです。

カウンセリングの脱線とは何でしょうか?
具体的には画用紙を破るなどの行為です。

破壊的な行為です。
これはストップしなければいけません。

そうしなければ、カウンセリングは成り立たなくなります。
そのために、最初にカウンセラーが太い線で図形を描くのです。

その太い線の図形。
それがカウンセリングの越えられぬラインとなります。

その太い線の中でカウンセリングは行われます。
秩序のためのラインと言えます。

多くの子供は自由に描きだします。
だがそれもできない子供もいます。

まったく自由意思の妨げられた状態です。
それにも、気づいていません。

その時は「自由に語れる雰囲気」を作ります。
そんな雰囲気を漂わせます。

その「自由に語れる雰囲気」そのものに、解決力があります。
ある意味、それがすべてです。

カウンセラーの受容が重視されます。
受け入れることが重視されます。

受け入れるためには、こころの大きな器が必要です。
受容のための器は、大きなものでなければいけません。

かつびくともしないものです。
この二つが必要です。

この子も、大きなびくともしない器が必要です。
カウンセラーは100パーセントはそうなれません。

だが心がけることはできます。
これがポイントです。

さらに述べます。 







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